おでんのたまごさんの3周年記念フリー小説(クラアン)です!
Sunny-side up  〜夫婦喧嘩は、まずしい犬も食わない?〜

 

|| 第二幕 ||

 勝利の行方はこちらにある。それがたとえ後先なしの一回勝負だろうが、十回やろうが百回連戦で行おうが、何倍、何桁の数に膨れ上がっても百発百中、勝利は必ずこの手にやってくる――はずだったのに。
「クラトスとケンカ?ええ、もちろんあるわよ」
 ツルの一声ならぬ母親からの、にっこり笑顔つきの爆弾告白にもろくも、ロイドの勝利は粉々に打ち砕かれてしまったのであった。帰宅し、居間に立つ母親と対面してわずか数秒後の、スピード決着だった。
 大番狂わせのこの結果に、諸手を挙げて歓声をあげたのはゼロス、顎が外れ落ちんばかりにびっくり仰天したのはロイドだ。
「おっしゃ!計算どおりデート権ゲット!」
「そんな…!?」
 鼓膜を突き抜けていった衝撃のあまり、へなへなと腰が抜けそうにもなった。
  賭けに負けたのがショックだったんじゃない。毎日繰り広げられる両親の仲睦まじい姿より得ていた、不変的な勝利の根拠――「うちの両親は絶対喧嘩しない」という絶大なる自信と鼻高々な自慢を、二つ同時にぽっきりと折られたせいであった。
 母親が認めたからといって、すぐにその事実を受け入れるということはしかし、ロイドには出来なかった。心や頭に、素直にそう認めさせるのにはあまりにも、お互いを想い合い、心を配りあう父と母の情景が邪魔をしてくるのである。
 めくるめく二人の、朝の浜辺をいましも手を繋いで散策しそうなあの、仲の良さっぷりといったらもう…!
 本人の口から直接聞いたとはいえ、だ。喧嘩だなんて、とてもじゃないが到底、信じられる話ではなかった。
 驚愕に抱き竦められていたのは束の間、母親に突っかかっていったロイドである。
「ちょ…待ってよ、母さん…!!」
「まあ、どうしたの?ロイド。そんなに慌てて」
 喰らいつかんばかりの形相の彼とは対照的に、籐のバスケットに焼きたてのクッキーやマフィンを収める母親のアンナのおもては、いつもと同じ、春の陽気のように朗らかだった。
「ああ、おやつなら大丈夫よ。お裾分けにちょっと持っていくけれど、安心して、あなたたちの分もちゃんとあるから。今日はね。ミルクティーマフィンとコーヒーマフィンよ」
「いや、別におやつの心配なんかしてないよ!」
 律儀にも最後まで聞き終えてから、心の奥底から全力で否定したロイドだった。
 かなりの剣幕だったのにも関わらず、にこにこ笑顔が基本ステータスな母親にはやはり、からっきし通じなかった。
 微笑みの波を目許にたゆとわせたまま、心底不思議そうな声音で尋ねてくる。
「あら。おやつじゃないなら、なあに?」
「喧嘩のことだよ!」
  怒鳴りこむ勢いで応えると、母親は小首を傾げついでに、きょとんとヴァイオレットの双眸を瞬かせてきたものである。駿馬の黒鹿毛を思わせるような髪もふわり、頬に寄り添った。
「ケンカのこと?」
「ああ、喧嘩。父さんと喧嘩したことあるってそれ、母さん流の新しい、冗談とかジョークとかシャレとかなんかだろ」
 きっとそうだ。そうに違いない。
 絶対そうだと信じて疑わなかった彼の、頼みの綱とも呼べる想いはしかし、
「ううん。冗談とかジョークとか洒落とか、ちょっぴりおまけをつけるとユーモアとかでもないわ。本当のことよ」
 満面を、にっこり綻ばせた母親の手によって敢えなく、一刀両断にされてしまったのだった。
 句点代わりに咲いた、大輪の笑みの花。
 そこから弾けちった清香が、ロイドに教えてくれたものである。その唇が奏で上げた言の音の調べに、嘘偽りなど一切、微塵もないことを。
 唯一の拠り所を失ったロイドが、今度こそ本当に打ちのめされてしまったのはいうまでもなかったろう。
 ショックに押し潰された肺腑より漏れた吐息は途中で、世にも情けない声に転じて唇から滑り落ちたものだ。
「そ、そんなあ…」
 こうべがガクンと前に倒れこみ、肩が落胆のラインを描く。両の瞼だって項垂れ落ちた。立っていた場所が忽然と消え、奈落の底へと落ちていくような気分とはまさに、このことか。喧嘩とは無縁な両親と信じきっていたがゆえに、天地がひっくり返ったような心境に陥ったものである。
 落ち込むロイドの肩を労わるように、そっと叩いてきたのはゼロスだ。
「な?俺さまの言った通りだったろ?全国津々浦々のご夫婦は全員、喧嘩するもんなんだって」
 落ち込んだ人間を慰めるような優しい所作と口調ではあったが、その声音には高らかに鳴り響く、勝利のファンファーレが伴奏に流れていた。
 このファンファーレを耳にしたのがきっかけだった。落ち込んでいる場合じゃないと、ロイドが己の心に活を入れることができたのは。
(そうだ。ゼロスと母さんのデート、なんとしてでも止めなきゃ…!)
 落ち込むのはあとでいくらだって出来る。今はゼロスの勝利が確定してしまった、賭けの報奨であるデートを阻止するのが先決だ。
 元はといえば、意地で賭けにのってしまった自分の責任。自分が悪いのだ。だからこそ、母親に代償を払わせてしまうのだけは絶対に避けなければならなかった。初めの口約束ではそうなっていたとしても、だ。
 たとえ道義にもとるとゼロスに非難されようが、己の信念を貫こうと決したロイドである。
(なんとかして母さんに、喧嘩してないって言い直して貰わないと…どうしたらいいんだ?――そうだ!)
「なあ、母さん。喧嘩の意味だけどさ」
 膳は急げだ。案を思いついたときにはもう、ロイドは作戦に打って出ていた。
 キッとおもてを掲げ上げ、母親の目をまっすぐに見据える。
「ひょっとして、勘違いしてるんじゃないか?」
  ふわり、母親の白い頬に後れ毛が寄り添う。
「勘違い?」
「おいおい。まだ諦めてないのかよ。ロイドくんは。しつこい男は嫌われるぜぇ?」
「そう。勘違いだよ」
  ゼロスの揶揄は聞かなかったことにして、ロイドは首を大きく振り下ろす行動に専念した。さきに喰らったダメージのせいか、頷くという仕種一つ取るのにも、多大な労力を必要としたものである。
「喧嘩っていうのはさ。母さんが想像してるような、水かけ遊びが発展して恋人達があははうふふって感じで夏の浜辺を追いかけっこするようなんじゃなくって、拳と拳、夕陽の浜辺で殴りあって心を通わせあうような、お前の拳はお前の口以上にお喋りだぜって拳で語り合うような、最後は腰に手を当てて牛乳飲み交わすみたいな、そういった男の友情ドラマみたいなやつを喧嘩っていうんだぜ。な?母さんが考えているようなのとは全然違うだろ?」
「いや。殴りあいはともかく、水かけ遊びの方は俺さまが考えてる喧嘩とも、タライ舟とレアバードくらいの性能差があるぜ?」
 ゼロスの呟きももっともだ。デート権を無効にするためとはいえ、かなり飛躍した説明をしているという自覚はもちろん、ロイドにもある。だが、どんなごり押しな手を使っても、母親に「喧嘩じゃなかった」と言い直して貰うしか、他に道はないのだ。
 それに、ゼロスが指摘したように、前半部分は完全に飛躍しているともいえなかった。なにしろ幼馴染のコレット同様、母親のアンナときたら、常人とは一風変った視野を持っている人だったからだ。例として出した浜辺の話のように、どうみたって恋人達のじゃれあいとしか見えないような遊びを、喧嘩として捉えている可能性は大いにある。勘違いしている確率は、花丸満点なみに近いだろう。
 その一点に、ロイドは一縷の望みをかけたのだった。
「なあ、母さん。父さんとはこんな喧嘩、したことないだろ?」
  嘆願すら篭めてそう尋ねると、母親は真っ先に、午餐の光が射しつけるなかに一輪の朗笑の花を咲かせてきたものだ。
 今日これまでの流れの経験上、母親の微笑みにことごとく期待を裏切られてきたロイドである。
(――しまった)
「大丈夫よ、ロイド」
 そうであったから、こののちに続く文言もきっと同じ、残念なお知らせをもたらしてくるのだろうと、前もって覚悟を決めておいたのだが。だがしかし件の唇は、彼の遥か斜め上を行く、予想外の言葉をうららかに紡ぎ上げてきたのだった。
「お母さんが想像したケンカはね。追いかけっこじゃなくって、きちんとした、闘技場の決勝戦でし合うようなケンカだから」
「いや、それは喧嘩とはいわねえんじゃねえの?」とは、ゼロスが発した的確な突っ込みである。もちろんロイドもきっちりと、内心でツッコミを入れていたのは言うまでもない。
「ていうか、そんな夫婦喧嘩してんのか…?クラトスとアンナさまは。なんつー殺伐とした夫婦だよ」
「闘技場の試合?ああもう!この際、それでもいいや!」
 隣でぼそぼそ呟くゼロスのツッコミには目もくれず、ロイドはなおも母親に詰め寄った。
 すっとんだ答だったとはいえ、とりあえず、激しく勘違いしている事実はわかった。これを利用しない手はない。
「つまりはそんな風に、剣持って戦ったりしないだろ?父さんと喧嘩したことあるっていうのは、そういうことなんだよ」
 何が何でも、ゼロスとのデートを阻止しなくてはならない。何が何でもだ。
 背負ったこの使命を果たすため、揮う弁はますます燃え上がった。母親を見据えるその双眸が、神に縋りつくような眼差しとなったのはある意味、必然だったろう。
「ないだろ?そういった喧嘩は。な?なっ?なっっ?!」
  ロイドのそんな、がむしゃらなまでの必死な想いが通じたのか。やがて母親は、遠い記憶を辿るように視線の矛先を虚空へと羽ばたかせ、顎に人差し指を置きがてら言ってきたものである。
「――そうねえ。さすがに剣を持って闘技場で刃をぶつけあったり、夕陽の見える綺麗な浜辺で、拳と拳で殴り合いもしたことはないわね」
 その言葉を待っていた。思わず「おっしゃ!」と叫びそうになったのを無理矢理噛み殺して、心の内側のみでガッツポーズをしたロイドである。とはいえ、顔面が歓喜に輝いたのは止められなかったが。
 これであとは追撃をいくつか繰り出せば、デート権を破壊することが出来る。
 安堵の吐息とともに、ほっと、彼が胸を撫で下ろしたその時だった。「ああ、でも」と、ひとたび打ち鳴らした拍手も可愛らしく、母親が嬉々としてこう付け加えてきたのは。
「平手でパンって思いっきり、左頬を殴られたことはあるわ。一度っきりだけど」
 その一瞬、ロイドは時間が止まったのを確かに体感した。
 母親がなにを口にし、自分の耳はそれをなんと受け止めたのか。確実に聞いたはずの言葉がわからなかった。意味が一瞬、理解できなかった。
 頭では理解出来なかったが、喉はいたって率直に行動していたものだ。
「「殴っ、え、な、なんだってええええぇぇぇぇぇっ…?!」」
 どうやらゼロスも同意見だったらしい。脊髄反射で発した雄叫びは一字一句、韻まで揃った綺麗なハーモニーとなって、家の外まで飛び出していったものである。だがそれっきり、二人の唇からはあえかな音声すらも出てきはしなかった。
 あの、騎士道精神の塊でフェミニストたるクラトスが。感情を律するのが得意なあのクラトスが、こともあろうに最愛の女性に手をあげただなんて…!
 驚きの目を剥いたまま、唖然と開きっぱなしの口を世間に晒して立ち尽くすのが、今のロイドに出来る精一杯のことだった。それは彼の隣に佇むゼロスも同じだった。絶句するとはまさしく、彼らが直面しているこの刹那のことをいうに違いない。二人の声を失わせた張本人はといえば、
「あら。じゃああれが、初めての夫婦喧嘩になるのかしら?」
 花唇をうきうきと弾ませ、一人、思い出話に花を咲かせるのに大層忙しそうであった。
「でもまだあの時は結婚してなかったから、夫婦喧嘩とは言わないわよね。お友達だったし、恋人喧嘩とも、やっぱり違うわよね。なんにしても――思い出すわ」
  うっとりと目を瞑り、掌を左頬にあてがったアンナである。閉ざされた瞼の奥。そこに広がる情景がその肌を色づかせたか、頬はほのかな薔薇色に染まっていた。あまやかな空気が室内に満ち溢れたのもきっと、それが発端だったであろう。
「クラトスにぶたれた、あの時の頬の痛み。思えばあれが――」
「あーわかるわかる!今もその古傷が日夜、痛むっていうんだろ?わかるぜアンナさま」
 突如乱入した大音声が、あとに続こうとした言葉をむげなく飲み込んだ。
 頬を抱き留めていたアンナの手を引き寄せ、己が両手の平のうちにがっしりと保護したのは他でもない。ゼロスだ。
  いち早くフリーズ状態から脱却した彼は、真正面に向き合える位置をキープするやいなや、熱心な眼差しをアンナに注いだものである。
「それにしたってクラトスの奴ぁ、なんてふてえ野郎なんだ…!あなたのような可憐でか弱き女性の美しい肌を普通は愛でこそはすれ、力いっぱい殴るなんて!そんな不埒な想いを抱く輩はこの、女性の味方ゼロス・ワイルダーが、あなたの刃となって成敗してやるぜ」
「ううん、クラトスは悪くないのよ。だってあれは、私が悪か」
「なーんて健気で優しいんだアンナさまは…!殴られて、身も心もズタボロになって傷ついているのはむしろ自分だというのに、殴った相手を庇うなんて!身を挺して夫を庇う良き妻!これぞ愛!これこそ夫婦の本当の有様だっつーのに、なのになんなんだクラトスの奴は?俺さまだったら愛するハニーに手を挙げるくらいなら、通りすがりの野郎の顔をぶん殴るってーの」
「駄目よ、ゼロスくん。関係のない方を殴っちゃ。それからね、クラトスが私をぶったのは、私が自分の」
「男の平手打ちだもんなあ」
 わざとらしく声を張り上げ、アンナの話を踏み潰したゼロスである。
「さぞかし痛かっただろ?どこが痛むんだ?俺さまがふーふーして、痛いの痛いの飛んでけーってしてやるから」
「まあ、心配してくれてありがとうゼロスくん。でもね、大丈夫よ。もう随分と昔の話だから、全然痛くは」
「いやいやいやいや!その白亜のような麗しい頬が受けた痛み、そしてなにより、心に受けた傷が消え去るのに時間なんか、百万年あったって足りやしないって。そんなあなたのために、だ」
 そこまでまくしたてると、ゼロスはズズイっとおもてを前進させた。優美に微笑みかけていたのは計算ではなく、本能以外のなにものでもない。吐息もかかるほどの距離からアンナへと捧げられたそれは、女性の心を一瞬で根こそぎ奪い去ってしまう、魅惑の微笑であった。
「アンナさまのために――俺さまは今日、天より遣わされたんだぜ?」
  だが、そんなものが通用する相手ではない。
「あら。うちに来たのは秋祭りが始まる一週間前からよ、ゼロスくん」
 数多の女性の心を鷲づかみにしてきた微笑も口説き文句も、さらり、笑顔でスルーされてしまったのだった。しかしながら、これしきのことでへこたれないのがゼロスの、ゼロスたる所以だ。
「ま、まあそうだったかも知れないが!ともかくだ」
 ニコニコ笑顔で仕切りなおすや、口説きを再開する。
「なんでも頼ってくれていいぜ?そうだな〜。気晴らしにどっか一緒に出かけてもいい。おおっと!遠慮なんかいらないぜ。なんたって俺さまはアンナさまの心の傷を癒すため、生まれてきたといっても過言ではないんだからな。俺さまがそうしたいんだし、なにより、ロイドくんともそう約束してるから大丈夫さ」
「約束?」
 アンナが怪訝に小首を傾げるのと、ロイドがハッと我に立ち返ったのとは、まったく同時だった。
 眼前で繰り広げられる、母親とゼロスの対話を呆然と眺めている場合ではない。
「ロイドと約束って、なあに?」
「いやあ、実はさっき」
「わーわーわー…!」
  はちゃめちゃに振りたくる両腕と喚き声をひっさげて、会話のなかに飛び込んだロイドだった。話の流れ上、ゼロスが賭けの詳細を言わんとしているのは明白だったし、それを母親に報せるわけにはいかなかったからだ。けれどもその意図を察したゼロスの魔の手によって首根っこを押さえ込まれ、口も塞がれてしまった。「むー!むー!」と、声にならぬ声を張りあげ続けるロイドを尻目に、彼はあっけらかんと暴露したものである。
「ロイドくんがね。うちの両親は夫婦喧嘩なんか絶対しないって、あんまりにもしつこく言い張るから賭けたのさ。夫婦喧嘩を一度でもしたことあったら、アンナさまと俺さま二人っきりで、今日一日デートしてもいいってな」
「…っ!!」
 これを聞いて、ゼロスの腕の中でますますもがいたのはロイド、怒るどころか、実にあっさりした反応を示したのはアンナだ。
「まあ、そうだったの。ロイドと約束したのね。じゃあ私、ゼロスくんと一緒にこれからお出かけしたらいいのかしら?」
「そういうこと。アンナさまは物分りが早くて嬉しいぜ」
「…っ、だけど!それは無効になったってば!」
 口を覆う掌からなんとか抜け出すやいなや、全身全霊で否定したロイドであった。
「ほら、母さんは闘技場みたいな喧嘩はしたことないっていってたろ?だからデートの約束もなくなったんだってば」
「でも、平手でパンって叩かれたことはあるわ」
 すかさず母親が反論を投じてくる。
「これは、あなたがいった喧嘩の意味と一緒だって、母さん思うの。ほら。闘技場では格闘家の皆さんも、魔物さんの胸を借りて、和気藹々と修行してらっしゃるでしょ?あれと同じだと思うの」
「う゛」
 とすり、目に見えぬ矢がロイドの頭に突きたつ。
 和気藹々と修行しているかは、夫婦喧嘩がそれに分類されるかの是非はともかくとして、自分の発言が、最悪を招いたことを知った彼である。あんなこと言うんじゃなかったと悔やんでも遅い。世にいう、あとの祭りだ。
 そうと悟っても、心はなおぐずった。
「でもさ」
「"でも"とか、"たら"とか、"れば"とかじゃねえっていうの」
 駄々っ子のようにごねた口は、コンっと一発、カウンターで炸裂したデコピンをもって撃墜されてしまったものである。ロイドはじろり、首に巻きつく腕の持ち主の顔を横目でねめあげた。
「お母さまもそう言ってることだし、男なら、約束をきっちり守らねえとなあ」
 勝ち誇った笑みを浮かべたゼロスがニヤニヤと見下ろしてき、母親がうんうんと頷きながらロイドに説いてくる。
「そうよ、ロイド。ゼロスくんの言う通り、約束したことはきちんと守らなくっちゃ。ね?」
  お手上げだった。ゼロス一人が相手なら、勝ち目はあったかもしれない。だが、母親までもが――母親自身が乗り気になってしまった今、完全に勝利への道は断たれた。こうなった母親を説得する話術は、残念ながらロイドは持ち合わせていないからだ。誠に遺憾ながら、承服せざるを得ない状況となってしまったのである。
 ロイドは渋々頷いた。重い口を開いた顔は苦りきっていたに違いない。
「………わかったよ」
「ほんじゃまあ、ロイドくんもこうやって心から賛成してくれたことだし、早速デートといきましょうか♪おっと!まずは行き先を決めないとな」
 待ってましたとばかり、ゼロスがこの返事にばくりと喰らいついた。渋面の解けぬロイドをほったらかし、デートの打ち合わせに洋々と乗り出したそのタイミングは確実に、承諾の声を絞りだすより二秒は早かった。完全にフライングである。
 ただでさえ不承不承容認したというのに、こんなことまでされて、不満を覚えないはずがない。せめてもの抗議とばかり、文句たらたらな視線をぶつけてはみたものの、暖簾に腕押し、話の波に乗った相手からは一瞥すら貰えなかった。ゼロスはいたって涼しい顔でロイドを無視し、母親をエスコートして居間の入り口へと歩いていったものだ。その動きを追いかけるロイドの目線が、さらに険しくなったのは当然の結果だったろう。
「どこへ行きたい?俺さま、アンナさまの行きたいところなら、どこへだって行っちゃうぜ」
「まあ、ありがとう。じゃあ一緒に、イセリアの森の方へ行って貰ってもいいかしら?クラトスはお仕事で今日の夕方まで帰ってこないし、ノイシュも気持ちよくお昼寝中だから、私一人でこっそり、出かけちゃおうかしらって思っていたところなのよ」
「もちろんですとも。俺さま喜んでお供いたしますよ」
「まあ、助かるわ。ありがとうゼロスくん。じゃあ今日は、お言葉に甘えさせて貰うわね」
「どうぞどうぞ。泥舟に乗ったつもりで、どんどん甘えてくれよな」
「あら。素敵な船旅ね」
 デートの場所はイセリアの森と決まったようだ。ゼロスは気付かなかったようだが、その名称を聞いたロイドは、母親が望む最終目的地を即座に理解したものである。
(親父の家か)
 さしずめ焼き上がったお菓子を、お裾分けにいくつもりなのだろう。ダイクを実の父と慕う、母親らしい選択だ。
(親父のところなら――まあ、いいか)
 行き先がそこと知り、ほんの少しだけ気が軽くなったロイドである。
 森を挟んでいるとはいえ、ここからダイクの家までさしたる距離はない。デートの時間も、復路を含めたところで三時間にも満たない。もちろん、デート相手となるゼロスだって安心できる材料の一つだ。女性であれば誰かれ構わず声をかける、自他共に女好きと認める彼ではあったが、ナンパした相手とはいつも、街角やカフェなどでお喋りに興じているのみだからだ。ましてや、此度のデート相手には夫がいる。そしてその人の目は夫一色、心はといえば夫一筋だ。なにより天然ボケなだけに、そういった方面での回避能力は底知れぬほど高いと、父親からとくと聞かされている。だから名目上はデートであっても、案じるような点など微塵もないのは、自分の中では折り紙つきだった。――それでも。それでもロイドは、いてもたってもいられなかった。
  猛然と振り返りざま、思わず口走っていた。
「待てよ、二人とも。やっぱり俺も一緒に行く!」
 二人の背中を追いかけたそれはだが、冷ややかな青い眼差しと、咎めの色に染まった花のかんばせを招きよせるくらいにしか役に立たなかった。肩越しに振り返ってきた二人は口々にこう、ロイドを窘めてきたものである。
「ちょっとロイドくん。デートについてくんのって、空気読めなさすぎ。そんなことしてっと、女の子に嫌われるぜ?」
「駄目よ、ロイド。二人きりって、ゼロスくんと約束したんでしょう?約束は約束、守らなきゃ嫌よ?」
 ゼロスの、半分茶化すようなそれとは違う。母親の放った言葉にはきりりと尖った、有無を言わせぬ圧力が篭もっていた。眉を潜ませたそのおもてからは、笑みも消えていた。
  たったこれだけのことなのに、ロイドはたじたじとなった。怒気はまったくなかったものの、こっぴどく叱りつけられた気分にもなったものである。
「わかった?ロイド」
「うん。ごめん。わかったよ、母さん」
 ぽっきり折れ、反射的に謝ってしまったロイドだった。母親がにっこりと微笑む。嬉しそうに綻んだその微笑からは、安堵の香りが強く匂いたっていた。
「ありがとう、ロイド。わかってくれて、お母さん嬉しいわ」
「俺さまも嬉しいぜ、ハニーv」
「あ。そ」
「じゃあ、お母さん行ってくるわね。ゼロスくんとお出かけするけど、晩ごはんまでには必ず戻るからって、お父さんにも伝えておいてね」
「わかったよ」
「ロイドく〜ん、よろしく伝えておいてねんvんじゃあ、ハニー、行ってくるぜ」
「あーはいはい。母さん、行ってらっしゃい」
 ゼロスには半眼で、母親に向かっては満面の笑顔で送り出すと、母親からも微笑みの花束が贈り返されてきたものだ。
「ええ、行ってきます」
 かくして母親のアンナは、浮き立った顔でバスケットと腕を絡ませ、エプロンもつけっぱなしのまま、ワンピースの裾をかろやかに翻して旅立っていったのだった。
 よっぽど早く、お菓子を届けに行きたかったのだろう。その足取りの弾みっぷりたるや、同行者を置いてけぼりにせん勢いであった。「待ってよ、アンナさま〜」と追いすがる声が、このデートの前途が多難であることを雄弁に物語っている。
 世にあるデートの装いとはかけ離れた光景がありありと目に浮かんで、盛大に噴出してしまったロイドであった。


|| 第三幕 ||

 二人がいなくなると室内は急に、火が消えたようにひっそりと静まり返ったものだ。
 ロイドはしばしの間、二人の背中を見送ったあともその場に佇んでいたが、やがて力尽きたように、手近の椅子にどさりと腰を落とした。
 取り巻く世界は静かだった。唯一聞こえてくるのは、ノイシュの寝息くらいだ。降りつけてくる午餐の陽射しがよっぽど気持ちいいのだろう。ノイシュはお気に入りのテラスの前で眠りこけたっきり、あの騒動のさなかでさえ一度も目を覚まさなかった。顎の下に真新しいクッションを敷き、蜂蜜色の陽だまりの中で眠る寝顔には、なんの憂いも悩みもない。
 同じ陽の恩恵を授かりながらも、そんなノイシュとは対照的に、ロイドは思い詰めた表情で椅子に座っていた。
 笑顔で見送ったものの、本心はそうではない。今からでも追いかけて行きたいのが本当のところだった。しかし母親に詫びて意見を呑んだ手前、それは出来ない。項垂れたこうべを抱え込ませるに到ったのは、悔恨の情に他ならなかった。
 深い、深い溜め息が唇をついてでる。
「……行っち…まった」
  世にも情けない音吐が耳朶を震わせた次の刹那、自分でも驚くほどの声量が鼓膜を劈いた。
「ああ、もう!なんだって賭けなんかしちまったんだ。俺の大バカヤロウ!!」
 腹立ち紛れに拳を食卓に叩きつけても、籠の中のマフィンがびっくりして飛び上がるだけ、時は一秒だって巻き戻らない。後悔したって、自分を罵ったってなんの役にもたたない。せいぜい、自分の罪を見つめ返せるくらいだ。だが、見つめ返せば見つめ返すほど、己の馬鹿さ加減が骨身に沁みてくる。負の連鎖が止まらなくなる。
 わかっていても、でも、止められなかった。己の馬鹿さ加減を責めずにはいられなかった。独りきりの環境がより一層、それを助長させた。
 頭の中で、『もしもあの時――』と、仮定の言葉がぐるぐると走り出す。賭けに乗らなければよかったを筆頭に、闘技場の話を利用するんじゃなかったと、さきの場に父親が居合わせていればと、今更言っても詮無き言葉達が眼前を行き過ぎ、また、円を描いて戻ってくる。終点のない、後悔のオンパレードだった。
  楽しくもないそんなパレードを、いくばくの時のなか見つめていたかは定かではない。けれど、どれだけの時間をそこで過ごそうが、現実世界にある答えはたった一つだ。
 母親とゼロスがデートに出かけていってしまったという"答え"は。そしてこの結末を齎した人物の名も未来永劫、変わる日はない。
 自業自得という言葉はまさに、今の自分のためにあるのだと、ロイドはつくづくとそう思った。
 噛み締めるように、その言葉が我が身に染み込んでくる。誰のせいでもない。そう――他の、誰のせいでもないのだ。
「こうなっちまったのは……俺のせいなんだ」
 貸す耳のない懺悔はそのまま、時の波間に飲み込まれて消えるはずだった。だが、返ってくるはずのない応えが突如、天より降ってきたのである。
「なにがお前のせいなのだ?」
 ビクッと体が激しく躍り上がった瞬間にはもう、ロイドのこうべは駆け上がっていた。顔面を突き抜けた驚愕を隠そうという考えすら、及びつかなかった。
 大きく瞠った両目がいち早く捉えたのは、紫紺色の装束と、それを浮き立たせる夕影。
 一体いつの間に日は傾き、そして、彼の者に正面を取られたのだろう?
「父――さん…?」
 顔をあげた先には、琥珀色の斜陽に全姿を照らされた父親が佇んでいたのだった。
  じっと、こちらを見据えてくる眼差しにぶれはない。頭上より降つる自分と同じ色の双眸が、唖然とそのおもてを見上げる仰天顔を映し出している。
 なにをそんなに驚いているのかと、父親の目は静かにそう語っていたが、こんな登場の仕方をされて驚かないはずがない。口から心臓が飛び出そうになったとは、まさしくこのことだ。
 物音はおろか、声をかけられるまで気配さえ感じなかった。すぐ間近に人がいるなんて、想像すらつかなかった。そんな状況下において、不意に音声が降ってくれば誰だってびっくり仰天するに決まっている。ましてや時の移ろいを感じぬくらい、思惟の深みに嵌っていたのだ。驚きのあまり体が竦んでしまったのは、人ならば当然の反応だったろう。二の句を告ぐ力さえ失った。いつしか日が暮れかかっていたことなど、これに比べたら驚きの範疇にも入らなかった。
  開いた口の存在を忘れ、ひたすらその姿を仰視し続けたのがよっぽど、眼に余ったのかもしれない。開口一番、父親はこう言ってきたものだ。
「すまない。驚かせてしまったようだ」
「あ―…うん。ほんと、驚いた」
  ロイドは素直に、謝罪の言葉を受け取った。頭の芯がまだぼうっとしていたせいか、頬に浮かべた笑みは曖昧で中途半端なものとなった。
「心臓、飛び出ちまったかと思ったよ。帰ってきたのなら、一言そう声をかけてくれよな」
 笑いながら小言を付け加えると、ぼそり、父親は短息を零しがてら言ってきたものである。
「一応――二度ほど声をかけたのだがな」
「へ?」
「あうん!」
 その発言は自分が保証する。まるでそう言わんばかりに、威勢のいい合いの手が後方から沸き起こった。視線を流せば、お気に入りの地で寝そべっていたノイシュがこちらへ向けて、手柄顔でぶんぶん尻尾を振っているところであった。
  眉のような凛々しい影を冠していても、黒い瞳に宿るとぼけた風味は健在だ。それでも本人的には、あの目をもってこう力説しているつもりなのだろう。ちゃんとこの耳で聞いたよ、と。その証拠に、持ち上がった両耳がビシっと伸びて、存在をアピールしている。鼻も高々に見えたのは気のせいではないだろう。
  ノイシュの証言を聞くまでもない。クラトス・アウリオンという男が、保身のために嘘をつけるような器用な人間ではないことを、ロイドは知得している。さきの発言を疑う心など、初めっから持っていなかった。だからこそ謝罪の言葉はすみやかに、申し訳ない気持ちとともに世に織り出されたのであった。
「ごめん、父さん。父さんのせいじゃない、俺が悪かったんだ」
  誰が悪いのか、ちょっと考えてみればわかることだった。
 今日はノイシュも留守番をしていた。帰宅した家人をいち早く出迎えるのを趣味とするノイシュが家にいて、仕事から帰ってきたクラトスの元へ馳せ参じないわけがない。おまけに、二日ぶりの再会である。そのはしゃぎっぷりたるや、容易に目に浮かぶ。玄関先ではさぞや「おかえり」のコールならぬ、歓喜の鳴き声を盛大に披露していたことだろう。大きな体躯なだけあって、発する音量もまた大きい。廊下を隔てているとはいえ、それにまったく気付かなかった段階で、誰に非があるかは一目瞭然だった。
 責められるべきは、思索に耽っていた我が身にこそある。
「驚かせないようにって、気を使ってくれてたんだろ?なのに気付かなくって、本当ごめん。二回も声かけてくれてたのにさ。俺、ぼけっとしてて……。ごめんな。父さんは全然悪くないからさ。さっきのは、気にしないでくれよな」
 誠心誠意謝ったロイドであったが、相手はすんなりと頷いてくれる性格ではなかった。謝罪を受け終えるや、「いや」と、鳶色のこうべを頑と振り返してきたのである。
「お前のせいだけではない。私にも責はある。お前がそのような状況に身を置いていたことを知りつつ、声をかけたのだからな」
 責任の欠片などこれっぽちもないのに、あくまでも真摯に、生真面目に返してくるのが実に父親らしい。内心苦笑を零しつつ、いかに自分の方が悪いかを訴えるべく、ロイドがなおも言い募ろうとした時だった。二つの影法師を抱いた床に、その言葉が落ちたのは。
「ロイド」
 名を呼んだ声音は優しく、注がれてくる眼差しは温かかった。
 その姿に、ロイドの目は縫いとめられた。そこに居たのは、彼が剣の目標とする凄腕の傭兵ではない。彼の眸子に写しだされているのは一人の――我が子を想う、一人の親の姿に他ならなかった。
 父の面差しとなったクラトスが問いかけてくる。
「何を…思い悩んでいたのだ?」
「え?あ――」
 言いよどむ。答えることに躊躇いはない。だが、この身を案じてくれているその心が、今のロイドにはとても眩しく感じられた。いたたまれなくなって、思わず顔を逸らす。目を合わせてはいられなかった。
「……うん。ちょっと、な」
 言葉を濁し、父親の厚意に背を向ける。
 それはだが、悩んでいた理由を――真実を告げるのが怖かったからじゃない。心配して貰えるような身分ではないと、そう思ったからだ。
 父親の愛する女性を代価に差し出しておきながら、平然と、差し伸べられたその手を掴むことが出来るであろうか?気に病んで貰える立場であろうか?すべてが、身から出た錆であるというのに――
 出来るはずがない。 ロイドには到底、そんな厚顔無恥な真似は出来なかった。
「心配かけてごめん。でも、もう大丈夫だから」
 元気溌剌、胸を叩くついでにパッと顔を跳ね起こす。
「ありがとな!父さん」
 真実まで隠蔽する羽目になってしまったことに良心を痛めながら、それでも無理矢理笑ってみせると、父親は「そうか」と呟き、かろく頷き返してきたのだった。
 深くは追求してこない。ただ、鳶色の瞳を静かに、ひたと送りつけてくるばかりだ。繋がった目線を辿り、心の奥底までも覗かれてしまいそうに感じられて、たまらずロイドは俯いてしまった。視線を外した仕種はきっと、不自然極まりなかったであろうが、ここでもクラトスは口を開こうとはしなかった。
 さきの応えに心から納得していないことは、あの目遣いをみればわかる。音にして尋ねてこないのはひとえに、そういった性格だからだ。だからこちらが動くまで、静観の姿勢を貫き続けるだろう。
 このまま放っておけばいい。こちらから何も言わない限り、これ以上、父親は踏み込んでは来ない。しかし、何か口にしないことには、気まずい思いはますます体内に降り積もっていくばかりだ。
 自問する。 どうしたらいいんだ?と。
 そうだ。何か違う話をすればいいのだと、ロイドは自答した。
 話題はなんだっていい。さりげなささえ装えば、いたって自然な話題転換にみえるはずだ。多少強引でも、クラトスは素直に乗ってくる。次の話題に移ってしまえば、胸に疑念を留め置きこそすれ、過ぎ去った話を蒸し返すようなことはしないだろう。
  幸い、話の種はいくらでもある。今日見た劇の内容でも、昨日の天気の話でも、一昨晩紐解くのに苦心した母親の服のリボンのことでも、なんでも構わない。
  彼は、頭の中にごろごろ転がっている話の種を無造作に引っつかんだ。あとはこれを口にするだけでいい。
  己の心に命ぜられるまま、ロイドは唇を開いた。僅かに開いた隙間から、真新しい空気が口腔に入り込んでくる。それを糧とし、適当に見繕った話をいざ言わんと、
「――あのさ、父さん」
 思惑を秘めて動かした口はしかし、持ち主の意思をあっさりと裏切った。
「母さんと喧嘩したことあるって……本当か?」
「なに?」
 耳を疑ったのか、クラトスの声が怪訝に揺れた。
 聞かれた相手も驚きを隠せなかったようだが、言った当人が一番驚いていた。脳内で頭を抱え、目を渦巻き状にしてもんどり打ったロイドである。
(だー!俺ってば何言ってんだよ!)
 突拍子もなかったとか、そんなレベルじゃない。話そうとしていた内容とはてんで違うものが勝手に、口から飛び出てきたからだ。
 ――あとにして思えば。思惑を裏切らせた犯人は良心だったのかもしれないと、そう冷静に結論づけられたが、現場に直面したばかりの彼に、そんな余裕などあろうはずがない。「しまった」と胸裏で舌打ちするのが関の山だった。とはいえ、世に出てしまった後ではもはや、どうすることもできない。ロイドにできたのはただ一つ、この質問を受けた相手がどんな顔をしているのかと、上目を送りつけて盗み見ることだけであった。
  いきなりこんな、何の脈絡もない、意味不明な質問をぶつけたのだ。きっと、呆れ果てた面持ちで見下ろしているに違いない。あるいは、怪訝に曇った双眸で注視されているかの、どちらかだろう。
 的中確実のその予想はしかし、当たらなかった。父親はなんと、笑っていたのである。それは失笑に近かったけれど、好意的で、優しいものであった。
 意表をつかれたロイドが、目縁を押し広げたのは言うまでもない。
「突然、なにをいうのかと思えば」
  目が合うなり、クラトスは可笑しそうに言ってきたものだ。笑みを含んでいるせいか、穏やかで柔らかな声だった。
「夫婦とはいえ各々、個性持つ一人の人間だからな。当然ある」
 よもや真面目に答えてくれるとは、思いもかけなかった。意外な結末を目撃し、ロイドはますます目を丸め込んだものである。覚えた驚きのあまり、必要のない酸素だって吸い込んでしまったくらいだ。
 顔面が奏でた一連の所作。あるいはそれを、『喧嘩があった』ことへの衝撃と捉えたのかもしれない。「何をそう驚くことがある」と父親は笑い、さらに話を続けてきたのだった。
「二人の人間が同じ屋根の下で暮らす以上、諍いが起こるのはある意味必然だ。私とアンナとて、それは例外ではない。だが、口論が悪だとは、私は思わない。互いの感情をぶつけ合い、醜くも曝け出すことで、新たに通じあうものがあるからだ。発見もある。大切にしたいという想いも膨れ上がる。喧嘩だけではない。笑い、泣き、迷い、悔やみ、喜び、愛――それらをともに分かち合ってきたからこそ、今の私達があり、幸せがあるのだ。他の夫婦がどうかは知らぬ。だが、私達はこうやって絆を紡ぎ、家族となっていった。この過程に、偽りはない」
  そう言い切った態度は正大で、おもてには誇りすらあった。
  いつになく饒舌に、そして珍しく心境までも織り交ぜてきた父親の発言に、ロイドは感銘した。
  ゼロスとは全然、説得力が違う。相変わらず小難しい物言いだったが、こちらの方が断然、夫婦喧嘩の定義としては合点がいった。それだけではない。
(そっか。新婚夫婦も真っ青な父さんと母さんの仲の良さがあるのも、そうしてきたからか)
  錠前と鍵が出逢うように、得心したロイドであった。
 両親の間に喧嘩があったなんて話、正直、眉唾物だと思ってやまなかった。が、父親の話を聞いて、そんな天変地異的な出来事もあったのかも知れないと、そう思えるようになったのである。考えを改められたのは、クラトスがその胸にある思いを垣間見せてくれたからだろう。
 だとしたら、と、ロイドははたと思った。
(もしかしたら、あのことも――)
「疑問は、これですべて解けたか?」
 父親が確認してくる。
 これに「ああ」と相槌を打てば、晴れてこの話に幕を引ける。ごくごく自然に、喉の奥に用意してあった『ノイシュの抜け毛』の話を持ち出せる。首を、上下に一往復させるだけでもいい。
「……」
 ロイドは、だが、逡巡した。
 ここを見逃せば、話の継続は確実だ。それは気が進まない。けれど、聞きたいと思ってしまったのである。ゼロスが茶々を入れたお陰で聞きそびれた、母親が語ろうとしていたあの話を。母親の視点からではなく、父親の観点からその事実を聞きたいと、強く思ってしまったのである。
 今なら、教えてくれるかもしれない。珍しくも胸襟を開いてくれている今なら――
 手を上げなければならなかった理由、そして、その根底に流れる想いも含めて語ってくれるかもしれない。
 機会はたぶん、今しかない。今しかないだろう。
 ここで話を打ち切りたい気持ちと、事実を知りたいと願う想いが激しくぶつかりあい、凌ぎを削りあう。
 葛藤は沈黙を招き、沈黙は決断を迫ってくる。一秒か。二秒か?葛藤していたのはたぶん、それくらいであったろう。
 深呼吸を一つし――心は、決まった。
 言葉は使わなかった。ロイドはこうべを左右に薙ぎ払って、沈黙を破る先駆けとしたのだった。ジェスチャーで伝えた答はNO、まだ解けていない、だ。
 会話の続行を望んだ証が刻まれるや、クラトスの反応は早かった。
「なにがわからぬのだ?」
「もう一つ、聞いていいか?その、喧嘩のことなんだけど」
 決然とおもてを掲げ、相手の瞳をしかと見届ける。それからロイドは意を決し、唇を開いたのであった。
「母さんを殴ったことがあるっていうのも、本当なのか?」
  彼が尋ねたのと、クラトスの双眸が眇められたのはまったく同時だった。和らいでいたおもては一転して、厳寒の海のように険しくなったものだ。周囲の空気さえ尖った。
 どうやら、触れてはならぬものだったらしい。が、引き下がるつもりは毛頭なかった。真実を知りたいと走り出した心はもう止められない。
 瞬きすら捨てて、父親の瞳孔を見据える。
 クラトスは微動だにしなかった。真一文字に閉ざされた唇にも動く気配はない。真実を求める眼差しをしかと受け止めたまま、沈黙を守っている。
 ロイドは今一度、言葉を重ねた。
「本当なのか?」
 それでも、返答はない。だが、彼はもうそれ以上何も言わず、ただ黙して待った。
  ややあって――肩を竦めがてら降ろされた眼瞼が、待ち侘びていた応えの第一声となった。そうして息をつく仕種も煩わしげに、クラトスはこう答えてきたのだった。
「――真実かどうかと問われれば、そうだとしか答えようがないな」
 そう言い捨てるなり、踵を返して歩き出す。燕尾のマントが翻る間すら待たずに歩き出した姿に、ロイドははっきりと拒絶の文字を見た。話はこれで終りだと、無言の背中が語っている。彼はしかし、食い下がった。
「なあ、なんだってそんなことしたんだよ?」
 去りいく背中に問うたものの、歩みは止まらなかった。
 ロイドは焦った。まだ肝心な部分を聞いてない。
「待てよ、クラトス!」
  声を荒げたのも、追いすがるように立ち上がっていたのも、咄嗟に相手の肩を鷲掴んでいたのも、すべてが無意識だった。
「教えてくれよ。母さんのこと、好きなんだろ?だったらなんでそ」
 訴えは、途中で飲み込まざるを得なくなった。射抜くような鋭い隻眼が、手をかけた肩の向こう岸から降り注いできたからだ。その眼光の苛烈さに、反射的に手を引っ込めてしまったロイドであったが、目線だけは決して逸らさなかった。父親が足を止め、肩越しに振り返ってきた時も、悠然と体を向けてきた時も正視し続けた。むろん、相手も同じだった。
 ロイドは決した眦に熱を篭めて見つめ、クラトスは目つきに刃を潜ませて見詰め返してくる。傍からみればそれは、立派な睨みあいであった。
  夕暮れの匂いを孕んだ斜陽が、対峙しあう彼らのおもてに深い陰影を刻み込む。琥珀色の光に部屋全体が沈むなか、そうやって二人、どれくらい視線をぶつけあっていたことだろう。
 緊迫感すら漂う睨みあいの果て、先に行動を起こしたのはクラトスの方だった。視軸は一筋も逸らさずに、つと顎で食卓を示し、座れと命じてきたのである。 逆らう理由などない。ロイドが素直に応じると、命じた当人もその対岸の席に腰かけてきたものだ。そして居を構えた地で固く腕を組み、眼球を目蓋で覆い隠したのだった。
  席につけと命じたからには、こうやって同じテーブルを囲んでいるということは、話があるのは明らかだ。だが父親は瞑目したっきり、一言も発そうとはしなかった。焦らされているような感覚がロイドを襲ったが、彼は負けなかった。口角を引き締め、じっと、思案顔で黙り込む父親を眺めて待つ。
 マフィン入りの籠が影を伸ばす食卓を挟んで、三度、沈黙を共有しあう羽目となったが、此度のそれはさほど長引かなかった。
「一つ、確認しておきたいことがある」
  眼を瞑ったまま、クラトスがおもむろに口を開いた。慮外だったのは、その強張ったおもてとは裏腹に、声音に棘がなかったことか。
「それは、アンナに聞いたのだな?」
「ああ」
  正々堂々と答えると、クラトスは大きく息を吐き出してきた。静寂が訪れたのは、父親が諦めにも似た吐息を零した数瞬だけ、世界はすぐに音を取り戻した。
「クルシスから逃れた私とアンナが、世界を転々と旅していたことは知っているな?」
  いきなり切り出された質問だったが、ロイドは即座に頷き返したものだ。忘れるはずがない。
「ああ」
  忘れもしない。世界再生の旅のなか、フラノールで聞いた話だ。あの凍夜の寒さを思い出したせいか、頬が自然と引き結ばれた。
「それで、俺が生まれたって聞いた」
「そうだ」
 肯定の証を重々しくこうべで刻んだ父親は、これから話すのはそれよりずっと前、アンナとともに旅をして数年が経過した頃の話だと前置いて、淡々と語り始めたのだった。
「私達の、いや、私の旅の目的は二つ。一つは、アンナの輝石を害なく外す知識と技術を持つドワーフを見つけ出すこと、そして今一つは、人の身でエターナルソードを扱える方法を探すことだった」
 この話は知らなかった。耳に意識を集中させ、ロイドは聞くのに徹することとした。
「これらの術を探し求めて数年が過ぎたある日、一方の手がかりを得ることができた。それは、契約の指輪に関する噂だった」
  閉ざした視界の奥では、当時の思い出が流れているに違いない。しかし過去を語る父親の声に、感傷は一切見当たらなかった。
「今でこそ製法を知り得てはいるが、当時はまだその材料はおろか、かような存在があることすら、私は知らなかった。しかし、その存在が記されているという噂の古代遺跡には屈強な魔物が多く潜み、彼女を連れて行くのはさしもの私でも手に余った。仕方なく彼女をおいて、遺跡の奥へと向かったのだが――運悪く、その間にディザイアンに見つかってしまったのだ」
「母さんが?」
 訊ねた瞬間、何を当然なことをと彼は思ったが、クラトスは意外にも、かぶりをそっと振り返してきたのである。それが否定ではなく、わからないという意味であったと知ったのは、次の言葉を聞いた時だった。
「推測に過ぎないが、彼らは町で得た情報を元に、山狩りを行っていただけだろう」
 推測という単語を受けて、ロイドの首が傾いだ。確かさっき聞いた話では、こう断言していたはずである。
「え?でも、さっき見つかったって…」
「彼女は」
 そう呟いた瞬間、初めて声音に感傷が灯り、西日に照らされたおもてが沈痛に歪んだ。
「アンナは、私が何を為そうとしているかを知っていた。その私がクルシスに連れ戻されるのだけは阻止せねばと、そう強く思ったのだろう。彼女は身を潜めていた地をあえて飛び出したのだ」
「飛び出したって…」
「そうだ。なにをそんな馬鹿なことを、だ」
 口にしようとした言葉を父親が盗んで音にしてしまったけれど、ロイドは一切構わなかった。ただただ呆然と、聞いた話に驚愕の眼を向けるので精一杯だったからである。
 捕まったらその身はおろか、命すら危うかったであろうになんという…なんという危険な行動を取ったものだろう!
 凍りついた背筋の余波で、知らずと歯の根が震えた。
「なんだって、そんなこと……」
「敵の目をすべて自分に向けさせ、私の存在を隠すためにだ。――我が身を囮としてな」
 ロイドがハッと息を飲み込むのと、語り部が大きな嘆息を漏らしたのは同時だった。
「私が駆けつけたことで」
 肩を竦めたのち、クラトスは気だるげに瞼を持ち上げた。視野を取り戻したその双眸の先にあったのは、彼自身の右手であった。
「最悪の事態はからくも免れたのだったが――私は許せなかった。己を犠牲にしようとした彼女を」
 思い出を――当時の想いをもひっくるめて、そこに見ているのだろう。掌を眺める眼差しは険しくもあり、そして、ひどく辛そうでもあった。
「彼女に手を上げたのは、それが最初で最後だ」
「殴ったのは――」
 静かに唇を結んだ父親へ宛てて、ロイドはそっと声をかけた。
 答えはわかっていた。返ってくる答えはわかっていたけれども、それでも父親の口から聞きたかった。そうせざるを得なかった瞬間、抱いていた想いを――
「殴ったのは、母さんが大事だったから……か?」
「お前は、お前の大切な者が危険を犯そうとする時、冷静でいられるか?」
 一瞥をくれるやいなやだった。ずばり、父親がこう切り替えしてきたのは。これに対しロイドもまた、答えるよりも早くきっぱりとかぶりを振りきっていた。
  そんなこと、考える必要もない。もしもコレットが母親と同様の真似をしようとしたら、自分も間違いなく、クラトスと同じ道を選ぶだろう。殴るまではさすがにしないとは思うが、正直、その境遇に立ち会ったらどうなるかはわからない。ただはっきり言えるのは、彼女を守るためならなんだってするだろうということくらいだ。
  我が身に置き換えると、父親の心情が痛いほどわかった。 ロイドは真剣な面持ちを携えて、迷いなく言い切ったのだった。
「俺だってきっと、父さんと同じことする」
 クラトスの目許が綻んだ。それはまたたくまに満面に行き渡り、満ち足りた微笑となってその面差しを優しく彩ったのであった。
「そういうことだ」
「ああ、そういうことだったんだな」
 賛同の相槌を、微笑み混じりに打ってきた父親へ向け、笑みの眉を開いて応じたロイドだった。
 この瞬間、父と息子の心は確かにしかと通じ合ったのである。
 男同士、無言で笑みを酌み交わしあっていたのもしかし、束の間のことだった。突然真顔に戻ったクラトスが、ふと、何かを思い出したかのようにこう尋ねてきたからである。
「ところで、ロイド。私も先ほどから気になっていることがあるのだが」
  なんだろうと思った心が、ロイドの首を傾げさせた。
「なんだ?」
「なにが、お前のせいなのだ?」
「へ?」
  訳がわからずもう一段深く首を傾けると、父親は顔面を手で押さえ、思いっきり呆れかえってきたのだった。補足の言葉はそれゆえ、盛大な溜め息と一緒に吐き出されてきたものだ。
「帰宅した私が聞いた、お前の言葉だ」
 言われて思い出す。
「あ」
 罪の意識に苛まれるあまり、つい吐露してしまったあの懺悔の言葉だ。タイミング悪くそこに居合わせた父親が耳にし、問いかけてきた質問でもある。
 まさかあの質問が再び、しかも時間差で炸裂してこようとは…。
 気構えが出来ているはずもなければ、予想すらつくはずもない。完膚なきまでの、不意のつかれようだった。そして人間、不意をつかれると挙動不審になってしまうものだ。彼も例に漏れなかった。
 明後日の方向に視線は泳ぎ、指先がぎこちなく頬をかく。そうしてほとんど上の空気味に応えたロイドである。
「あー…あのことか」
「そうだ。そのことだ」
 クラトスが容赦なく切り込んでくる。上の空状態などお構いなしだ。
「どうやらそのことと、お前が私にぶつけてきた疑問は、密に結びついているように感じられる。さきの話を聞いたという、アンナの姿も見当たらぬしな。…まあ、彼女の方は大方、また一人でダイク殿の元へ菓子を差し入れに行こうとしたのを、ゼロス辺りに護衛を頼んで出かけたのであろうが」
 こともなげに父親はさらっと言いのけたものの、この推察を聞いたロイドは頭の中で突っ込みを入れずにはいられなかった。
(見てたのかよ、クラトス?!)
  無論、そんな可能性は皆無なのだが、そう邪推したくもなった。それくらい、みごとな洞察力であった。ことに母親の方など、経緯はどうあれほぼ推察通りだ。そして――今更ながらに、気付いたことがある。
  思い出すのはすべての発端となった、賭けの一件だ。
(ああ、そうか。あれって、母さんのスルースキルが発動してたのか)
 父親の炯眼が教えてくれた。
 あれは、ゼロスがデート権を確保したのではない。母親が護衛の手をうまくゲットしたのだということを――
 あの賭けでの真の優勝者は誰あろう、母親のアンナだったのである。優勝者本人は間違いなく、そうとはまったく意識していなかったであろうが。
  ロイドはなかば惚れ惚れとした思いで、感歎の舌を巻いたものである。
(初めて見たけど……母さんが持つ天然ってほんと、凄い能力だな)
 自分にもしっかり受け継がれている血のことを、すっかり棚にあげて感心する彼の耳朶に、クラトスの音吐が触れてくる。
「ロイド」
 名を呼ばれて意識を外に向ければ、そこには渋面を作り上げている父親がいた。きっと気のせいでも、光の加減でもなんでもなかったであろう。斜光に染まった精悍なおもてが、常以上に険しく見えたのは。その顔色に負けず劣らずな眼差しが、まっすぐにロイドの瞳孔を刺し貫いてくる。思わず居ずまいを正し、唾を飲み込んでしまった彼だった。気楽に「なんだ?」とは、聞き返せる状況ではなかった。
 両腕を固く結んだクラトスが話しかけてくる。
「教えて欲しいのだが。お前があの時、呟いていた言葉の意味を」
 思い悩んでいた理由を、心配して尋ねてきた時とは違う。此度の言の音には、純粋な疑問のみがあった。いや、疑問などという、生温い印象ではない。
 詰問だった。
 いつの間にやら立場は、すっかり逆転してしまったようである。今度はロイドが、問い詰められる地に立たされていたのであった。しかも取調官の手厳しさは、自分の比ではない。現に、こちらを見据えてくる眼光の鋭さたるや、猛禽の王が獲物を捉えた時のそれである。
 西日に背中を焦がされながら、ロイドは臍を固めた。これから何を問い質されようとしているか、容易に想像がつく。身にたっぷりと覚えがあるからだ。
 元より、己の罪をずっとひた隠そうなどという考えはなかったし、叱られるのを覚悟の上でちゃんと話そうと思っていた。結果、蔑まれようが大喝されようが罵られようが怒鳴られようが呆れられようが、いきなりジャッジメントを喰らおうが、これらすべてを纏めて与えられようが、甘んじて受け入れる所存だった。それに値するくらいの罪を犯したと、理解しているからである。
 母親が帰宅するまでには語るつもりでもあった。洗いざらいぶちまける覚悟など、とっくの昔に出来ている。ただその機会を得られなかったに過ぎない。しかし、それはようやく訪れたようだ。が、まだ言うべき時ではない。今はまだ、父親のターンだ。
「アンナがなぜ、そのような話をしたのかも含めて教えて欲しい」
 時を計ってロイドが大人しく口を閉ざすなか、クラトスは、炯々たる眼を突きつけがてら言ってきたものである。長い前髪の下から覗く双眸が眇められる。
「ロイド。お前のせいとは、どういうことだ?」
 時は来た。ロイドは一目散に、猛スピードで頭を下げた。その際、天板におでこを強かに打ちつけたが痛みなんぞほったらかし、事情説明する口に、世にありうるすべての謝罪関連の言葉をからめ、猛省も一緒くたに煮込んで舌をまくしたてはじめたのであった。


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