花咲くは、誰がために。 |
「マーテルの様子が―――おかしい?」 クラトスの声音が潜まったのは別段、話の主の耳を憚ったからではない。 剣の修行をして欲しいと弟子に請われ、早めの夕食後、野営の地からいくぶんと奥まった森の広場へと移している身だ。 話の主はおろか、今一人の仲間の姿もここにはない。 声音が普段以上に低くなったのは純粋に、胸に覚えた訝みが声の質に混ざりこんだだけのことであった。 「私の目からは特に、そう見受けられたことはないが…。様子がおかしいとは、どのようにおかしいのだ?」 「いろんなところだよ。なんだかすべてが、いつもと違うんだ」 落日の逆光に臆することなく、真剣な面持ちを掲げてきたのは弟子のミトスである。 修行をつけて欲しいとは、自分を連れ出すための建前だったのだろう。この地につくや少年は、剣の柄へ一触れもすることなく、相談の口を開いてきたのであった。 「姉さまは、普段もそうだけど…だけど…」 胸元を握り締めた拳が、白のケープに苦痛の皺を刻む。 「だけど最近、なんだか間延びした喋り方してるし、時々、とんでもなく突拍子もないいい間違えするし、なんだか妙にほんわかとしているし…ねえ。おかしいと思わない?」 思わない?と、そう同意を求められてもだ。 「…それは」 クラトスは呻いた。弟子が語る彼女の素行、それは記憶によくある情景と酷似していたからだ。 「それは…いつもと、どう違うのだ?」 「全然違うよ」 ミトスの反論はしかし、かなり強気だった。 「僕と喋ってても、なんだか上の空気味だし、話し方もテンポが違うし、ほんわかしてるのは姉さまのいいところなんだけど、それでも最近は、ちょっと度が過ぎてるような気がするし、料理していても―――ねえ、クラトス」 大人と子供だ。そうでなくとも、クラトスの背は高い。身長の高低差は、恐ろしいまでの開きがある。 それでもミトスはその青い瞳をひたと、彼の双眸を覗き込むように、食い入るように、まっしぐらに突き立ててきたのであった。 気の弱い大人ならば、その威力に気圧されていたかも知れない。 「料理の得意な姉さまがだよ?「ねえ、ミトス。お砂糖ってお塩を入れたら、どうして甘さが増すのかしら?」って、突然聞いてくるんだよ?「お砂糖を入れたら、どうして甘くなるのかしら?」って、真剣に聞いてくるんだよ?それにね。 「お砂糖に感謝しないとね、ミトス。お砂糖があるから、胸にあるこの想いを甘いって感じられるんですもの」…って!そんなこと、いくら姉さまでも言わないって、そう思わない?」 実例を挙げられて、さすがに怪訝を覚えたクラトスだった。 マーテルはおっとりした性格で人を和ませ、ともに過ごす人の心を自然と癒す―――そういった女性だ。 時折、発言の主語を間違えて、見事にまったく違う主観となる話を口にしてしまう人でもある。 彼女はそういった点では確かに、些少ではあろうが「天然」と呼ばれる部類に入る人であろう。だがいくらなんでも実例のような、やや夢見がちな、どことなく詩人と思えるような言はしない女性ではあったのだ。 彼も、認めざるを得なかった。 「それは…確かにマーテルらしくないな」 「そうでしょ?それにね」 彼の同意を得られたからだろう。ミトスの口調に興奮と勢いが生じる。 「それに、突然顔が真っ赤になったり、普通に話してても、突然言いよどんだりするんだよ?どうしたの?って聞いても、なんでもないってぎこちなく笑ってくるんだ」 この発言を耳にして、クラトスの脳裏にも思い当たる光景が浮かびたってくる。それはだが、彼女のことではなかったが。 「―――それならば」 「なに?クラトス?」 告げようとした彼の口の前を、息せき切って通り過ぎていったミトスの声。必死ささえ漂うそれに、クラトスはこの少年が抱く、姉への想いを見たのだった。 「姉さまが変な理由、もしかしてわかったの?知ってるの?」 「いや」 彼は申し訳なささえ覚えながら、こうべを振ったものである。 「似たような症状を、ユアンの上にも見たことがあるのでな」 「ユアンにも?」 「ああ」 頷く。 「あれも、流暢に話しているかと思えば、唐突に喉を詰まらせて言葉を失うことがある。近頃特にだ」 きょとんと、ミトスが目を瞬かせたのは、予想の範疇だった。 「そんなこと、姉さまと話していたら、よくあることじゃないの?」 「私に対してもか?」 ずばりと核心に迫った一言に、対峙する少年のおもてが時を失う。しかしクラトスの口は容赦なかった。 「様子を尋ねたそのあとに、「なんでもない」と、私に向かってにこやかに笑いかけながら・・・・・・・・・・・・弁明してくるのがか?」 容赦のない決定的な事例を耳にした少年は、まるで恐ろしいものを見てしまったかのように目を腫らして、ふるふるふると、小刻みに金色のこうべを揺らしてきたものである。 「それは…ないね」 「ああ。ない」 きっぱりと断じたクラトスだった。 「妙だとは感じていたが、人の心とは、時とともに移ろうていくもの。ユアンの心にも何か良き風が吹いたのだと、私の中ではそれで解決していたのだが…マーテルもそうなのだとすると、ことは、そう簡単に結するものではないようだな」 「うん。そうだね」 きりり眉を奮い立たせて、ミトスが首肯する。 「ユアンも姉さまと同じ症状だとしたら、放ってはおけないよ。一刻も早く、なんとかしないと」 「そうだな。放ってはおけない問題だ」 クラトスも深く頷き返したが、口は、それ以上続ける言葉を持てなかった。 同意は心からしたものの、実際に、どういった手を打てばよいのか見当を付けられなかったのだ。 なにせ、理由が思い当たらないのである。 二人の上に起こった変化の理由。クラトスには思い当たる節は何もなかったし、原因を憶測する手がかりさえ持っていなかった。 マーテルにはすでに理由を聞いていると、ミトスは言う。ユアンには彼自身が直接確認している。つまりは、この案件に関しては、現段階で袋小路となってしまっている訳である。 それでもやはり、同じ苦難の道を歩く仲間だ。大切な知己であり、友でもある。 袋小路となっていても、なんとか打破したいともクラトスは強く思うのだ。ミトスもまたそんな思いで、自分を偽りの名目で呼び出したのだろう。 弟子の気持ちは痛いほどわかるし、憂慮に暮れる心をなんとか救ってもやりたい。己の気持ちも、なんとかしてやりたい。 そうは望んでも、原因がわからないままでは、なんともしようがないこの“現実”。 そしてその現実を知り、身を切らんばかりに味わっているのは勿論、彼だけではなかった。 「問題は…原因だね」 クラトスは深く下した首で肯定した。 幼いながらも聡明なミトスが、それを見逃し、直視していないはずがない。ましてや、すぐにでも助けたいと願う想いは、クラトス以上であったろう。姉のマーテルはなおのこと、仲間であるユアン、いや、迫害してくる人間でさえも、ミトスは救いたいと願ってやまない無垢な心の持ち主なのだから。正義感にだって、溢れてもいる。情も厚く、心も熱い。 「原因さえ、わかったら…」 悔しささえ滲んだ、苦痛の隙間から搾り出されてきた声は、優しきその心が負った、傷痍しょういそのものであるように、クラトスには感じられたのだった。 「ああ」 応えの声音が労わりに満ちたのは、そんな弟子の傷を慮った、彼自身の優しさに他ならなかった。 「原因さえ―――ことの発端さえわかれば、打つ手は見つかるのだが…」 「うん」 ミトスが大きく、頷き返して来る。返事はそれっきりだった。それっきりミトスは瞑目し、クラトスもまた、嘆息とともに目をそっと閉ざした。 力なく落ち込んだ瞼はしかし、現実を甘受した証ではなかった。解決の糸口を探らんと、唯一の手がかりたる記憶の底へと赴いていった、いわば、“現実”を覆さんと目論んだ、反逆の狼煙であった。 それは彼に留まらず、ミトスもそうであったに違いない。 引き結んだ唇を抱え、瞑目の裏側で思案に暮れはじめた仕種もそっくりに、師弟は、答えの明かされていない難問へと挑み始めた。原因は必ず、今日までを過ごしてきた日々のなか、流れ去ってしまった記憶のどこかに必ずや埋もれているはずである。もしかしたらそれは、見過ごしてしまうほどの些細なものであったかも知れぬ。 瞑った瞼の内側で、記憶の潮流をじっと凝視するクラトスの眉間には皺が刻まれ、相対して佇むミトスのおもてにも、辛労の陰影がくっきりと彫り抜かれていた。 師弟の記憶を巡る旅は長く、黙考が呼んだ沈黙は、夕映えに浸る森にしんしんと降り積もっていくばかりだった。 ―――やがて。 「――…あ」 呑まれた息はささやかな音ねであったけれども、沈黙を破り、クラトスの目蓋を開かせるきっかけとなるには、充分すぎるほどだった。 息を呑んだ理由は、聞かずともわかる。 じっと一点を見据え、思案に俯くミトスの眼差し。 俯くその青い瞳たちが掴んだ、きらきら輝く星のまたたきを見つけた瞬間、彼は悟っていたのだ。弟子が、解決の糸口を捕らえていたことを――― 「何か、わかったか?ミトス」 ミトスの応えは早かった。 「うん!ほら、この間!」 ぱっと跳ね上がってきたおもては清々しく澄み渡り、星はいまや、双眸のなかを煌々と照らし出していた。金の髪も輝かんばかりに佇むその姿はまるで、黎明の空に現れた眩き、白光放つ太陽のようであった。 「この間、町で食事したでしょう?僕とクラトスは違うものを頼んで食べたけど、姉さまとユアンは一緒の、茸ラッシュ☆パスタを食べたじゃない?原因は、それじゃないかなって思って」 「それ…とは?」 「キノコだよ」 両腕を押し広げ、胸を開いてそう告げたミトスの声は、木立の原を軽やかに弾んでいった。対しての、クラトスの反応は重かった。眉が怪訝に寄り添ったのも自覚できてしまった彼である。 「キノコ…?」 「うん、そう、キノコ。もしかしたらあの中に、毒キノコが混ざっていたのかもしれない」 断言の響きさえ篭った、ミトスの指摘。 (確かに…あの二人は、我らと違う品を食べていたな) ユアンとマーテルの共通点は、確かにそこにあろう。思い出を語られてようやく、その事実を思い出したクラトスも、弟子の指摘に思わず納得させられそうになったのだが。 (仲良く、さも嬉しそうにキノコ料理を食べてはいたが、だが―――) 己が記憶にも裏打ちされたミトスの指摘は、手放しで頷けるくらいの説得力はあるが。それでも腑に落ちない点は、如何ともしがたいほどにあったのだ。 「毒キノコが混ざっていたかも知れぬとの意見。お前のそれは一考するに値する、貴重な意見だとは思うのだが―――だが、ミトス」 クラトスはずばり、致命的とも言える問題点を指摘した。 「あれから一週間は経っているが?」 「遅効性の毒かも知れないでしょう?」 問題点はするりと回避されてしまった。 「一週間経って症状が出るような、毒キノコだったかもしれないでしょう?」 そう言われてしまったら、否を選ぶ自信はない。 毒キノコや毒のある食物の知識は、旅をしている以上、一般人よりは携えているつもりだ。しかし、あくまでも素人の持つ知識だったし、キノコという種ほど、そんな素人知識を振りかざすのが怖い食べ物もないのである。専門家ですら時に見誤ってしまう、似通った種が多いそれを、遠目から一見しただけのクラトスがわかるはずもない。ましてや調理されてしまったあとのキノコなど、よほど原型を留めていない限り種を特定するのは難しい。いや、それ以上に時間だ。一週間も前の昼の食事の内容など、忘れているに等しい。はっきりいって、忘却の彼方だ。 毒キノコではないと、安易に自信をつけることはけして出来なかった。 クラトスは両腕を抱え込んでしまった。 (自分が口にしたものなら、覚えているかも知れないが…) 再び黙考の世界へ身を投じようとした矢先、「クラトスったら」と、苦笑を喉に絡めたミトスが諌めてくる。 「そんな真剣に思い悩まないでよ。僕だって、確証はないんだから。そういった種類の毒キノコがあるなんて、自分で言っててもおかしいって思ってるんだから」 自分で自分の言葉を否定する少年を、クラトスはしかし、好ましい気持ちで視界に収めていた。 斜陽の木漏れ日に浮き立つミトスの、口の端にたゆとう自嘲の笑み。 それがただ、彼の意見と協和するために刻まれたものでも、自身の発言を心から嘲っているものでもないと、クラトスは知っていたからだ。 「ありえないって、僕だって思ってるよ」 震えた睫がフっと、不安を爪弾く。不安―――そう、不安だ。迷いだ。 ミトスは、己が言を盲目的に信奉する少年ではない。 他者の、悪意を裏に満たした言葉でさえ信じてしまうというのに、自分の唇が紡ぐ言葉にはいつだって悩み、これでいいのかと惑うている。幼さからではない。この少年の立場を慮れば、致し方ないことではあった。 ミトスの理想は、いつしか仲間を導く光となり、歩むべき旅の指針となっていた。その発言が道の行く末を決め、仲間の運命を決めると言っても過言ではない。 夢の成就も、また、夢が儚く潰えるのも。 仲間の生も、あるいは、仲間の死さえも。 ミトスが己の発言に慎重になるのは、そこに“未来”が託されているからである。 だから、惑いだってみせる。口にしたあとも、此度のように迷いを見せることだってある。 国を治める君主なら、兵を預かる指揮官なら、けしてあってはならぬことだろう。上に立つ者が迷いを言動に表せば、命令に従う者達の間に動揺が広がる。動揺は隙を生み、下手をすれば戦は負け、栄華を誇った国も山河と還るだろう。そういった意味では、ミトスは真の指導者とはなれぬタイプだろう。よい君主にも、指揮官にもなれないだろう。けれどもミトスには、彼らー指導者―にはないものがある。 「だけどね、クラトス」 語りつけてくる口調は穏やかながらも、クラトスのおもてを捉える瞳に弱さはない。 「ありえなくっても。確証はなくても」 ひたむきなほどにまっすぐ、前を見つめ続ける双眸が映すのは、希望の光。 どんな困難な道の途上にあっても、絶体絶命な窮地に追い立たされても、けして諦めない魂がそこに瞬いている。輝いている。しっかりと息づいている。 「絶対にそうとは、言い切れなくても」 ―――望みを、決して捨てないミトスの心が。 「だけどそこに、ほんの欠片でも可能性があるのなら。僕は―――」 希望を映す青い眼差しが、理想を抱いて進むその姿が、あとに続くクラトスらの胸に運び込んでくるのである―――揺るぎなき勇気を。絶大なる信頼を。 「僕は、それにかけてみようと思う。可能性が、砂粒ほどでもあるのなら」 この発言を幼いがゆえの青臭い、浅はかな考えと、賢君と讃えられし王は嘲笑うかもしれない。一縷の可能性に縋るのは愚かしいと、優秀な指揮官は歯牙にもかけないかもしれない。 だがクラトスは、心底思うのだ。 完璧な指導力を持つ彼らなどよりも、若い、この14歳の少年に付き従いたいと。趨勢や軍略を冷静に算する目ではなく、この、希望の光放つミトスの青い目を、信じたいと――― 「初めから違うって決め付けていたら、何も始まらないし、なんにも解決できないしね。もしも間違っていたら、また、別の可能性を探っていけばいいことだもの」 そう―――こともなげに笑って、たゆまぬ努力を誓える少年。 「まずは行動しないと、それだって出来ないでしょ?」 やんわりと寛いだ眼差しの袂で煌々と灯る光は、ミトスが信じてやまない希望だ。ミトスが見つめる未来そのものだ。 「だから僕は確証がなくっても、まずは行動してみようと思う。それがどんなに回り道になったとしても」 陽光はぜる水面のように青く、キラキラと明澄する瞳。 「積み重ねた歩数のその先に、きっと答えはあるはずだから」 この瞳こそが、クラトスの心を惹きつけてやまないのである。そうして、胸に沸き起こってくるのだ。 「―――そうだな」 誰に、強いられたわけでもない。 「お前の言うことも一理ある。記憶を眺めているだけでは、解決に到る扉の前に立つことは一生叶わない」 ミトスが双眸に灯らせる希望を、写し取る未来を、しっかとその掌に掴ませてやりたいと、クラトスはいつだってそう願ってしまうのだった。 手を差し伸べたい―――と。 自ずと沸き起こってくる、庇護と献身の心。 これこそが、この少年しか持ち得ない魅力であったろう。 「ならば、まずはその線で、解決の策を講じよう」 けして妥協からではなく、自身の心で選びとった意見を述べたクラトスだった。 「毒であると仮定したならば、マーテルの魔術に頼るのが最も近道ではあるのだが、毒にかかっているやも知れぬ人間を、容易く動かすわけにもいかぬ。薬草に詳しいというユアンについても、また、然りだ」 うんと、勢いよく相槌を送ってきたということは、ミトスも初めから同意見だったようだ。 「姉さまたちに頼ったら、主客転倒だもの。二人ほど詳しくはないけど、僕だって多少の薬草の知識はあるから、今はそれに頼ろうと思う」 「それがいいだろう。で、どのような薬草を探せばいい?」 「ユーフェリアを探そう。解毒作用があるんだ」 「ユーフェリア…?」 聞き慣れぬ名に、クラトスの声に翳りが差し込む。それだけでミトスには事情が知れたらしい。「あのね」と、即座に説明の口を開いてきてくれた。 「ユーフェリアってのは、花の名前。絶対に白い色の花しか咲かないんだ。ゲッカビジンみたいな凄く神秘的な白い色。スノーフレイクみたいにとっても可愛らしくってね、花びらはコルチカムみたいなんだけど、だけど、花の開き方はコーレアに一番近いかな。一つの茎から花が、こう、ダチュラみたいな感じでつくんだ。あ、でも、あんなに重たそうじゃなくって、柔らかい感じにこう、ふわっとついてるって思って。ほら、スズランみたいに。ううん、キキョウかな?まあ、そういった感じ。葉っぱと茎とかは、ヘメロカリスそっくり。ユーフェリアって、そういった花なんだ」 スラスラとそう、立て板に水がごとく説明されてもだ。世の男からすれば、さらには騎士という職からすれば、花の知識は持っている方だと自負してはいる。それでもミトスが喩えた花のほとんどに、聞き覚えがなかったクラトスである。 腕を抱えこんで考え込んでしまった。 (ダチュラ…コーレア…?) 女性であろうとも、花の名と容姿を覚えている者は数少ないだろう。よほどの花好きでなくば、大抵は自分の気に入りの花しか覚えていないものである。クラトスもまた、そういったタイプであった。 (スズランは知ってはいるが…他がどのようなものかが、皆目見当がつかぬな…) 「ミトス、すまないが」 わからないものを考えても、わからないだけである。彼はきっぱりと、想像する努力を手放した。 「なに?クラトス。僕の説明、わかり辛かった?」 「いや、私の知識が不足しているせいだ。お前のせいではない」 クラトスはあっさり、知識不足を開示して謝った。そうして足元に転がっていた小枝を拾い上げると、ミトスへ差し出しながらこう言ったのである。 「すまないが、絵を描いて欲しい。言葉で伝えるよりその方が、正確に情報を伝えられる」 それを告げ終えた瞬間、なぜか弟子の表情が固まったように見えたのはきっと、そのおもてに射しつける斜陽の加減であったろうと、クラトスは信じて疑わなかったのだった。 二人、ただ無言だった。クラトスもミトスもしゃがみ込んだまま、じっと、大地の一点へ注いだ視線すら揺れることなく、身じろぎ一つしなかった。 沈黙を手招きしたのは、地面に描かれた絵。解毒作用に功を発するという「ユーフェリアの花」を、小枝をペンに、黒土をキャンパスに描かれた絵である。 名も、見たこともないその花の容姿を知るため、クラトスが弟子に請うて描いてもらった絵は―――ありていに言って、あまり上手ではなかった。 クラトスが二つのまなこを駆使して注視したところ、花びらは二枚という、変わった種の花だということは見て取れた。花びら自体も目を凝らせば、やや丸みを帯びたような感じではある。しかし、一枚だけ尖っているのもあるように見えるし、もしかしたら二枚全部がそうなのかも知れないとも思えた。反り返り、ブリッジしているようでもあったし、先つぼみに萎んでいるようにも見える。 絵に関しての鑑識眼を、クラトスは持っていない。個人的に言えば、好ましい絵だ。見ているだけで微笑ましいし、味があるとも心に覚えるのだが。だが弟子が描いてくれた「ユーフェリア」の絵は、どうやらあまり役には立たないらしいと、彼は沈黙の中、一人しみじみと、納得してしまったものである。 「ご、ごめんね」 ひきつり笑いを頬にこびりつかせて、ミトスがはにかんだ。 「僕、あんまり絵…得意じゃないんだ。役に立てなくってごめんなさい」 クラトスは優しく言った。 「謝る必要はない」 何でもそつなくこなす少年が見せた苦手分野に、微笑ましいという好感は抱けても、それ以外の感情を覚えるはずがない。 「この絵で、大体の特徴は捉えた」 ゆっくりと立ち上がりながら、彼は網膜に焼き付けた花の特徴を、頭蓋の中に徹底的に叩き込んだ。 「花びらが二枚の、変わった花なのだな。それさえわかれば―――どうした?ミトス」 しゃがんだまま、一向に立ち上がってこようとしない弟子におもてを手向ければ、そこには、全身を染める夕映えの彩り以上に、頬を真っ赤にするミトスがいた。 「ミトス?」 ひどく言い辛そうに、少年の口がもぞもぞと動く。 「ご、ごめんなさい…」 「?」 「四枚なんだ………花びら」 この、消え入らんばかりのか細い声が告げた真実にクラトスは、遠慮を完璧に忘れ去って、大地に描かれた花へと目を走らせてしまったのだった。咄嗟に上げかけた驚嘆の声は、なんとか飲み込むのに成功したが。 (四枚…) 真実を知ってもなお、それはどうみても―――二枚にしか見えなかった。 (四―――枚…?) 「絵…下手でごめんなさい…」 儚く立ち昇った申告に力強く、否定の証をこうべで示したのは、ほとんど無意識だった。 「気にする必要はない。二人で―――そう、二人で探せば済む話だ」 なんとも効率は悪かったが。 二人一緒に探すことが決まった、決定的な一瞬だった。 そうは言っても花だ。森に、それこそ目も眩まんほどに溢れ返っている緑の草葉、そこより白い花を見出すのは容易いであろうと、クラトスは踏んでいたのだが。だが、実際に探索の目を走らせてみると、思った以上に骨の折れる作業であることが判明した。それでも、目に留まりやすい白い色だからまだいいようなものの、これで目当ての品が、生い繁る草葉と同じ色彩だったらと思うと、ぞっともした。 緑の世界にあれば、鮮やかに浮き立って見えるであろう白い花でさえ、探すのに苦心しているのだ。だからもしもユーフェリアが、世に薬草と呼ばれるような種と右倣えしている形状と色であったなら、この緑の宝庫から見つけだすのは、砂粒の中からひとかけの砂粒を探し当てるように困難であったろう。そういった意味では、助かってはいた。助かってはいても、捜索の手が早まることはなかったが。 (嚢中のうちゅうの物を探る…というわけには…いかぬな) ユーフェリアを求めながら、クラトスはつくづくと胸裏に思ったものである。 (やはり凄いな。即座に欲しい薬草を得てくるユアンやマーテルは) ミトスと二人、森の奥に分け入ってこうべを廻らし、目線をあちこち訪ね歩かせて、いかほどの時が過ぎていただろうか。地平線の端にもかかっていなかった夕陽は、いつしか完全に姿を消してしまっていた。 幸いなことに、太陽は没しても空はまだ明るい。薄闇が降りるのも、あと一時間はかかろう。日が長い時季だからその恩寵を今しばらくは預かれようが、短い時季であれば、クラトスは探索を断念せざるを得なかったろう。明かりがあっても完全に夜闇を見通せぬ、人間の眼の弱みがあるゆえだ。それはミトスも同じことだったろう。 夜と一塊となった森。その、圧倒的なぬばたまの闇の底から一輪の花を判別するのは、いかなハーフエルフといえども、困難であったろうから。 しかし、森が完全に夜の手に渡ったとしても、ミトスは探そうとするに違いない。姉や、仲間の為だからではない。他者を思い遣る気持ちは姉そっくりで、情にとても厚かったからだ。 弟子のそんな心根を熟知しているクラトスは、せめて夜が訪れるまでには、何とか決着をつけたかった。が、思うようには行ってくれない。 これまで何度か、白い花と出会ってはいる。だがそれをミトスに伝えれば、違う種だとかぶりを振られてばかりだった。そしてミトス自身もまた、白い花の前で落胆に肩を落としていた。 唯一の識者である、ミトスでさえそうなのだ。クラトスがたとえ、口頭で伝え聞いた花の形状を想像出来ていたとしても、絵がそっくりに描けていたとしても、きっと、これでいいのかと識者を探して答を求めていただろう。その手間を考えれば、案外こうやって共に行動する方が、効率的にはよかったのかもしれない。 (見つからぬな。マーテルやユアンの手が、正直欲しいが…) 幾度目かも覚えていない嘆息が、鼻腔から漏れ落ちる。 (あの二人は薬草に詳しいだけあって、どういった地を探せばいいのか心得ているのやもしれん。―――そうか) ある考えが胸裏に落ちた時にはもう、クラトスは振り返りざまに声を発していた。 「ミトス。少し尋ねたいことがある。ユーフェリアの花だが」 ミトスはしかし、取り込み中だったらしい。 「わ!ちょっと待って、クラトス。あ、いたたたた…!」 茂みの奥に突っ込んでいた頭をガサガサガサと、結構乱暴に取り返してくるや、パッと立ち上がり、そうして服の汚れも捨て置いて彼の元へと馳せ参じて来たのだった。しっちゃかめっちゃかにもつれた金の髪に、葉や羽虫をくっつけたままである。 微笑ましい光景に、クラトスの心も面差しもフッと和らいだ。 「聞きたいことって、なに?クラトス」 「ユーフェリアが、咲くのを好む地のことだ」 クラトスは、弟子の髪にくっつく羽虫や葉を優しく払いのけてやりながら、尋ねたものである。 「どういった地で咲くのかを知りたい」 「どこにでも咲いているよ」というのが、開口一番にくれた返答だった。 「特によく見かけたのは樹の根っこ近くとか、草葉の陰とか、茂みの傍だったかな」 「そうか」 相槌を打ちつつも、クラトスは無駄な時を過ごさなかった。「他には?」と、唇に次なる情報を求めさせる合間も捜索の足を運ばせ、ミトスもまた同様に、情報を告げる口と足を器用に使い分けていた。 「やっぱり花だから、陽が当たる場所に多かったと思う。でも、水場や岩の近くでは見かけたことはなかったよ」 探索の目をくまなく周囲へ配りながら、並びたって歩くクラトスとミトス。 そうしようと、どちらかが促しあった訳ではない。目配せもしていない。それは仲間として、師弟として育み、深め合った絆の成果だった。 「それにね。この時季だったら、簡単に見つかると思うよ。だって僕、10日ほど前に見かけたもの」 「そうか。10日前といえば、カランディの街道を歩いていた頃だな。あの街道からなら、気温も気候もなんら変わらない。ならば、街道よりも緑の多いこの森の方が、花が育つにはよい環境といえる。日当たりのよい地に、群生しているかも知れぬな」 「うん、そうだね。姉さまが僕のために採ってきてくれた時は冬に入りかけだったから、探して探して、すっごく苦労して採ってきてくれたんだけど。だけど、これだけ暖かくて気候がいいと、本当、どこかに群生しているかも知れないね」 当人はごくさらりと言ってきたが、この、過去の逸話を含めた語りに激しく反応したのはクラトスだ。 知らずと歩みは止まり、求めたのはただ、弟子のおもてである。 「お前は」 あいにくと、ミトスの向こうっ面は留守であったが、クラトスは構わずに後頭部へ語りかけた。 「毒のあるものを、食べたことがあるのか?」 「うんと小さな、四歳くらいの時にね」 苦笑いを湛えたミトスがくるり、顔を手向けてくる。一瞬だけ止まったその足は、すぐにまた歩を刻み始める。クラトスも歩き出した。 「そのままで食べちゃいけない木の実を、とっても美味しそうだからって食べてしまったんだ。姉さまは、僕が誤って食べないようにって、高いテーブルの上に置いてくれてたんだけど…。あの頃の僕にとっては、手の届かないテーブルの上って、なんだか凄いお宝があるような気がしてならなかったんだ」 伏せ目がちに話すミトスの横顔は、自嘲と悔悟に明け暮れている。 姉を心から慕い、そして、その心に負担をかけるのを何より厭う子だ。当時の失敗を省み、過去の自分を責め立てているのが、クラトスの目にはありありと見てとれたのだった。 「椅子に這い上ってね」 ミトスが瞼を下ろしたのは、そんな彼の目を避けたわけではなかったろうが。 「よせばいいのに、食べちゃったんだ。渋くて苦くって、すぐに吐き出したんだけど…死んじゃうかってくらい、すごくお腹が痛くなってね。お腹を抱え込んで苦しんでいたら、姉さまがユーフェリアの花を探してきてくれたんだよ。泥だらけになって、寒さに震えながら…姉さま、まだその頃は、解毒の魔術を覚えていなかったから。―――その時に、教えて貰ったんだ」 ゆっくりと開かれていった瞼、その下より現れた瞳に夕焼けの色を写し取って、少年はそうして自慢の笑みで頬を輝かせたのだった。 「ユーフェリアの花と根を煎じて飲めば、強くない毒なら、たちどころに解毒してしまうって」 横顔一杯に弾けちった笑みは、親愛と信頼の象徴だったろう。誰よりも慕い、敬愛する姉・マーテルへの――― クラトスも我とは無しに、微笑み返していた。 「そうか」 「二人が食べたのが、もしも毒キノコだとしたら。日数的にいって、そう強くない毒だろうから、きっとそれで姉さまとユア―――」 不自然に声が途切れ、青い目が感歎に押し広げられたのは、彼の元へ首こうべを廻らせてきた時であった。 怪訝に首を傾げる暇はなかった。ミトスが突然、一目散に走り出してしまったからだ。駆け出した理由は、その姿を機敏に追った目線で知ったクラトスである。 花だ。花の群れが、少年の後姿が向かう森の一角に咲き誇っていたのである。そこは木々もまばらな、周囲を背の高い茂みで守られた、若草敷き詰める広間のような場所だった。 遠目からでもわかった。黄昏の光を受けたその花弁の色は、白に近しい彩りであったと。 それを視認した瞬間、クラトスでさえ、もしやと思ったのだ。ミトスが地を蹴り、幾度目かの希望めがけて勇躍していったのは、無理からぬことだったろう。 一人納得の頷きを落とし、足を、弟子に続かんとゆるやかに差し向けかけたクラトスであったが、その歩みは、突如全身を駆け抜けた“感覚”に止められることとなったのである。 「ミトス!」 注意を喚起した大声と、茂みからそれが突然飛び出してきたのは、ほとんど同時だった。茂みをもの凄いスピードで突き破って来たのは――――魔物!ミトスはしかし、そのキノコそっくりな魔物の突進を、屈託のない笑い声さえ覗かせて避けたものである。丸みを帯びた、どことなく可愛げと愛嬌に溢れている魔物になど、欠片の脅威も覚えなかったのだろう。 体ごと、笑顔で振り返ってくる。 「平気、ミニコイドだから」 実際ミニコイドは、何をするでもなく走り去って行ってしまったのだが。だがクラトスは電光石火の勢いで剣を引き抜いていた。ミトスがきょとんと首を傾げ、クラトスの剣に残照が瞬いた、まさにその刹那であった。 二本のカマに殺気を宿らせ、獰猛な赤い目を滾らせ―――無防備に佇むミトスの背後に次なる新手、マンティスが、茂みを猛然と突き破って現れたのは!クラトスの眼が引き絞られる。 金の髪と白のケープが向かい風を孕み、下生えの草が無残に千切れ舞う。 「え…?」 背後を見返らんと、吃驚に張り詰めた青い眼をミトスが駆けつけさせた時にはもう、マンティスは二双の波濤を喰らって、倒れゆかんとしていたところだった。そしてそこにはすでに、クラトスが到達していたのである。 間合いを一息につめ、高々と掲げられた豪腕から振り下ろされた刃。 刃は一閃の光となって魔物の体を走り抜け、生まれた衝撃波がさらなる追撃を敵へと見舞う。もはや致命的であったが、クラトスは容赦しなかった。横殴りに斬り流された剣で安息を与え、マンティスの体を茂みの奥へと吹き飛ばしていった。 魔物が現れてから、それは、ほんの五秒にも満たぬ一瞬の死闘であった。 鳶色の瞳と青い瞳が固く結びつく。 「油断をするな。ミトス」 一切の淀みなく流れを終えた剣を鞘に収めながら、クラトスは忠告した。 「いつ、いかなる時もな」 厳しい咎めの視線を、ミトスはだが素直に受けとめてきた。そうして頷きも軽やかに弾ませ、殊勝顔で今後の姿勢を示して来たのである。 「はい。クラトス師匠」 心地いいほどの色よい返事に、クラトスの目元が和らいだ。 繋がりあった視線をつと離す。 「その花か?」 そう問うや、ミトスは花畑へと赴いていってしゃがみ込んだ。声を踊らせ、歓喜に振り仰いできたのは、その直後のことである。 「うん。ユーフェリアの花だ!」 「そうか」 深々と頷き返したクラトスだった。 「待っててね。すぐ掘り起こすから」 「急ぐでない。根が傷つかぬよう、慎重にしなさい」 「はい」 ついに相見えた花の姿を、クラトスはまじまじと見つめた。 (これが、ユーフェリアか) ほっそりと華奢な、すらっとした白い花弁である。雌蕊は慎ましく四枚の花弁の奥底に篭り、雄蕊もまた、人目を恥らうかのような朱の色を僅かに覗かせているだけだ。楚々とした、実に可愛らしい花である。その形容はどことなく、ある花の姿を脳裏に思い起こさせてきたものだ。 (ふむ。これは…カサブランカに似ているな。いや、それよりはかなり小振りで、花びらの反りも弱いように見えるが…まるで、畳んだカサのようだな) 記憶にある花とユーフェリアとを比べている彼が見守る中、花を掘り起こしていた一連の作業が終わったらしい。ハンカチで根を包み、大事そうに両掌で抱え込んだミトスが立ち上がってくる。 「よし、これでOKだよ。あとはこれをどこかで煎じて、薬を」 クラトスの前に立った少年は、最後まで言い終えることは出来なかった。どこからか、いや、すごく近くから「わんわん!」と、ひどく聞きなれた動物の鳴き声が聞こえてきたからだ。 鳴き声に視線を奪われたのは、師弟同時だった。 「「ノイシュ?」」 意外に満ちた声も綺麗にはもった。なんと凝視する先には、喜びに尻尾を振りたて、真っ黒な目も爛々と一直線に、大はしゃぎで駆け寄ってくるノイシュがいたのである。いや、ノイシュだけではなかった。 「姉さま?」 「ユアン?」 誰あろう。肉きゅうを、主人まっしぐらにひた走らせてくるノイシュのすぐ後ろに見えるのは、マーテルとユアンであった。 「ミトス、クラトス。ああ、よかったわ。無事で」 息を切らせてやってきたマーテルが、安堵の胸を撫で下ろして言った。 「ありがとうノイシュ。私達を案内してくれて」 「わふぅん♪」 返事のつもりか。礼を捧げられたノイシュは、ぐるぐるぐると、彼女の周りを走り出したけれども、最後にはクラトスめがけてジャンプして、見事、彼の胸の中に着地することに成功したのだった。陶酔の眼差しをクラトスに注いでくるのを見るに、どうやら単純に、大好きな主人と再会できて嬉しかっただけのようである。マーテルもまた心底嬉しそうだったが、ユアンはなぜか、不機嫌に眉を顰めていた。 仲間の登場に不意をつかれたのは、クラトスとミトスだ。 「姉さま?どうしてここに??」 ミトスが目を丸めて姉に訊ね、クラトスは目を流してユアンへと理由を求めた。 「何かあったのか?」 「それはこちらのセリフだ」 あからさまに不機嫌顔のユアンの声はやはり、想像通りに不機嫌だった。 「マーテルが心配して、探しに来ることを願ったのだ。お前達の戻りが遅かったからな」 「あなた達が剣の修行に出て行って、もう二時間近く―――いつもならこんなに遅くなることはないんですもの。何かあったのではないかと、心配で心配で」 「私は無事だと言ったのだがな」 ぴしゃり、ユアンが言った。 「心を痛める彼女の姿を見るに耐えなかったから、私が代表して探しに来るつもりだったのだが…。マーテルを一人、置いては来れなかった」 話の最後に彼はじろりと、クラトスとミトスを平等に睨み付けて来た。夜の帳も近いのに、彼女を連れだす羽目となったのは「お前達のせいだ」と、その一瞥が明らかにそう告げていた。 「もう、ユアンったら。それは済んだ話でしょう?」 不穏な空気が流れた場を取り成したのは、マーテルの微苦笑だ。 「私は、あなたにまで何かあったら嫌だから、あなたと一緒に来たかった。そう言ったでしょう?一緒に―――いたかった。ただそれだけのことなのよ、ユアン」 ユアンの面持ちから、居座り続けていた不機嫌の雲が立ち去る。 「マーテル」 「ユアン」 和らぐ若草の瞳と瞠られた青い瞳が、互いの持ち主のおもてを捉えていたのは一瞬。 まばたき一つも挟まなかったその、短き一瞬――― ユアンとマーテルが酌み交わした眼差しは本当に、一瞬の邂逅であった。それでも、クラトスの感覚に引っ掛かってくるものがあったのである。 (ん…?) それは先に魔物の襲来を肌で嗅ぎ取った、魔物が発する“気配”とも似ていたと、彼は思ったのだが。感じ取ったのはだが、気配などではない。 互いの瞳を求めた目つき、見交わしあった視線。そこから薫ってきたのは、どことなく漂う甘さ。恥じらいと初々しさ。そして二人の周囲にたゆとい、クラトスの心が嗅ぎつけてしまった―――惹き合う想い。鈍感な彼でさえ悟れた。 (もしや―――この二人…?) 「ところで、ミトス。こんな森の奥で何をしていたの?剣の修行をするには、私には狭い場所だと思うのだけれど」 マーテルの指摘は最もだった。 ここはあまりにも手狭い。四人で仲良く野営するには手に余るほどの広さだが、剣を持って激しく動き回るには適さない。はっきりいって、猫の額ほどの狭さだ。一人で素振りするのが関の山な地である。小さなユーフェリアの花達にとっては陽もあたる、楽園とも呼べる地であったろうが。 「何をしていたの?」 「あ、あのね」 ミトスが笑い返す。いつの間にやらユーフェリアはその両腕ごと、背後に隠されていた。 「あの、えっとね…」 声に冷や汗さえ掻かせながら、笑顔を浮かべるミトス。 時間稼ぎの笑顔だったろうけれども、それはどう足掻いても失敗していた。引き攣り笑顔となったそれを、必死に両腕を隠す仕種を、見逃すマーテルではない。 「あら?両手をどうしたの?ミトス」 「後ろ手に持っているのは、ユーフェリアの花だな」 ミトスの懸命な努力は、仲間内二番手の高身長を誇るユアンによって、あっさりと無に返された。 「根をも掘り起こしているということは、解毒薬にでも使う気か?ミトス」 「まあ、本当。どうしたの?ミトス。誰かが毒にかかっているの?姉さまに言ってくれたら、すぐに魔術で解毒するのに―――ねえ、誰が毒にかかっているの?ミトスなの?それともクラトス?」 まさか「姉さまとユアン」と、面と向かって言えるはずもない。おまけに、毒にかかっているかどうかもわからないのに、だ。ミトスが答えに窮したのは、実情を知らぬものですら悟れたであろう。 「―――残念だが、私達ではない」 クラトスがあげた加勢の声が、薄紅に色づく森の空気を揺らした。マーテルとユアン、そしてミトスのおもてが彼の元へ集う。 弟子を救うのが一番の目的ではあった。しかし同時に、知り得た事実を白日に晒さんとの思いもあった彼である。個人的には、本来なら発覚するまで胸に秘めておきたい真実ではあるが、そうするとミトスが抱える問題は当分の間、終りを見ることはなくなるだろう。それは放ってはおけなかった。 「お前達でなくば、誰がユーフェリアを必要とするのだ?」 怪訝に声を潜めるユアンへは、一瞥すら渡さなかった。クラトスはそのおもてをゆっくりと、若草の髪に縁取られた美しい顔へと流し、「マーテル」と、彼女の名を呼びつけた。傾げられた小首が、マーテルからの第一声だった。 「毒にかかっているかはわからないが」 眼差しを若草の双眸へ注ぎ込み、真正直に事情を話し始める。 「君の様子がここ最近おかしいからと、ミトスはずっと思い悩んでいたのだ。私自身も、ユアンの様子が気にはかかっていたのでな。その原因が、一週間前にお前達が同時に食べたキノコの料理―――そうではないのかと、我らは思い至ったのだ。それでミトスの知識を頼りに、ユーフェリアの花を捜し求めにきたのだが」 ひとたび口を噤ませる。 こたびの騒動の原因たる二人の顔をじっと注視し、そうして締めの言葉を彼らに突きつけたクラトスだった。 「お前達の様子がおかしい原因―――それで、相違ないか?」 もちろんその原因が間違っていることは、百パーセント承知である。だからマーテルとユアンが二人揃って目を丸め、心外を顔一杯に押し広げたのは想像の範囲内だった。 「まあ…私の様子がおかしい…って?どんな風に?いつもと同じだと思うけれど」 「そうだ。マーテルは普段と変わらぬし、それに、私のどこがおかしいのだ。クラトス?」 「お前が私へ向け、満面の笑顔で語りかけてきた記憶は、私には今までなかったが?」 ずばり切り返すと、ユアンは開きかけていた口を閉ざした。クラトスはさらに証拠を突きつけた。 「何かいいことでもあったのか?ユアン」 「そ、それはだな…!」 「姉さま。姉さまはどうして、あんなにゆっくり喋っていたの?お砂糖を入れたら甘くなるって知ってるのに、どうして僕に聞いてきたの?」 クラトスの発言に、勇を得たのだろう。ミトスが息せき切って語りだす。 「お塩を入れたら甘さが増すって僕に教えてくれたの、姉さまだよ?なのにどうして?どうして僕に理由を言ってくれないの?ねえ、姉さま。なんであんなにぎこちなく笑って誤魔化そうとしたの?僕、姉さまに何か、気に障ることでもしたの?」 「まあ、違うのよ、ミトス。あなたには何にも、姉さまは何一つ心に覚えたことはないわ」 「じゃあ、なに?違うってなに、姉さま?何が姉さまを変えてしまったの?」 「そ…それは―――」 珍しく、マーテルが言いよどむ。 組み合った両手はもじもじと落ち着かず、恥じらいが生まれたのだろう、頬は赤く染まった。困り果てた彼女が頼った目の先は、隣に佇むユアンである。そして彼もまた、彼女へと目を逃していた。その白い頬が気の毒なほど真っ赤に染まっていたのを、クラトスはしかと見届けた。 「なんなの?姉さま、ユアン」 ぼそり、ユアンが言った。 「…………だ」 「え?」と、聞き返したのはミトスである。 「なに?聞こえないよ、ユアン」 「だから!」 荒ぶった声は紛れもなく、照れ隠しであったろうと察知したクラトスだった。 「私達はいま、付き合っているのだ!」 「知っているよ。だからこうして、ここにいるんでしょう?」 「―――そうではない、ミトス」 感じた眩暈を瞼の内に封じて、クラトスは通訳の任を買ってでた。 けろりと、なんの他意もなく、ユアンが告げた真実をスルっと受け流したミトス。 弟子の、あまりにも純粋無垢すぎる心。人の言葉をあるがまま受け入れるミトスのその純朴な心に、眩暈を覚えたのは他の二人も一緒だったろうと、彼は感慨に耽ったものである。 「ユアンが言いたいのは、現状を意味することではなく、彼らは一組の男女として―――好意を寄せ合う相手として、付き合いを始めているということだ」 しばたく瞬きが、大きな音を立てるのではないかと思えたくらい、聞き終えた直後のミトスの瞬きは大仰だった。 「え…?」 説明を求めた金のこうべが流離った先は、姉のマーテルのところだ。 「ちょっと待って。あれ?え?それって、えっと…つまりは―――」 「私とユアンは今、その……恋人としてお付き合いしているのよ。ミトス」 はにかみながらも、自身の口からきちんと述べたマーテルだった。 ミトスが立ち尽くす。 「こ、恋人…?姉さまが、ユアンと―――。え?いつから?!」 「一週間前だったわよね、ユアン」 「ああ。一週間前だ」 「一週間…」 姉にべったりな弟である。そのショックは、クラトスの想像も出来ぬ大きさと深さだったろう。足元が瓦解する、驚天動地な出来事といっても過言ではなかったはずだ。 しかし予想に反してミトスは、さほど動揺してはいなかったようだ。「そっか」と、笑みさえ咲かせて頷いたのである。そしてその笑顔は、クラトスの元へも手向けられてきたのだった。それは手に入れた答を分かち合う、勝利の合図であった。 「そういうことだったみたい、クラトス」 クラトスもまた、首を深く降ろして応えた。すでに知り得ていたことではあったが。 「ああ。そのようだな」 「でも」 原因は判明したものの、疑問はなおも残っていたらしい。小首を傾げたミトスが、それはそれは不思議そうに二人に問いかけた。 「だからってなんで、二人揃って様子が変わったの?」 不満の色は一切ない。まじまじと注ぎかける青い眼にはただ、素朴な疑問だけがあった。 「恋人同士になるって、素晴らしいことでしょう?どうして僕達に、すぐに言ってくれなかったの?おめでたいことなのに」 どちらからともなくユアンとマーテルの目が出会う。 ミトスの素朴な疑問。その点に関してはクラトスもわからなかったので、羞恥を頬に注す二人のおもてをしげしげと見つめてしまったのだった。 「そ、それは…ねえ?ユアン」 「そうだ。なあ、マーテル」 「なにがそうなの?」 金髪がさらり、頬に舞い落ちる。ミトスの眼差しは限りなく純粋だった。 意を決したのはマーテルである。 「あ、あのね。ミトス」 眼差しを、祈るように組み合わせた両手の上に置き、夕紅よりも赤い両頬を抱いた面差しを俯かせて、彼女は心情を語りだした。 「姉さまは今まで、親しい男性とこういったことがなかったから、だからその…」 声もはじらいに染める彼女をミトスはおろか、クラトスも目を瞠って凝視していた。これほどにはにかみ、恥じらいに暮れる彼女を見るのは初めてだったのだ。それだけではない。 恋のなせる技か、常なる以上にマーテルは美しかった。 「あの…だから、どういった感じで過ごせばいいのかがわからなくて…気恥ずかしくて………なかなか…切り出せなくて………」 「そういうことだ、ミトス。お前も恋をすればわかる時がくる。これ以上の説明は不要だ」 ぶっすりと高圧的に、しかしその頬を朱に染め抜いて言い放ったユアンには、残念ながら威厳は欠片もなかった。 四人の間に流れてきたその後の沈黙は、初々しい恋人達が生んだ、「気まずさ」という名の清流であった。 「そっか。僕にはまだよくわからないけど、ユアンの言う通り、きっといつかわかる日が来るよね!」 気まずい清流を明るく飲み干したのはミトスの笑顔だ。 「姉さま達の原因がそういった嬉しい話だったんなら、じゃあ、このユーフェリアはもういらないね」 花を見つめた眼差しには、努力を惜しむ欠片すらなかった。 苦心して探し出したものの、それはもはや、ミトスの言う通り必要がなくなったものである。クラトスもユアンも同意の首肯を落としたが、ただ一人、反対意見を述べた者がいた。 マーテルだ。 「いいえ、頂くわ」 微笑みすら湛えて掌を差し出した彼女を凝視したのは三人全員、いや、ノイシュでさえ「あうん?」と、その小さな頭を傾げさせてマーテルを眺めていた。 「「なぜだ?マーテル」」 クラトスとユアンの疑問が重なり合い、驚嘆に揺れ動くミトスの声が姉に投げつけられる。 「どうして?姉さま」 「私達には必要だからよ、ミトス」 さも当然な口ぶりでマーテルが言う。彼女の言葉に、真っ先に反応したのはユアンである。 「私達?それは君と―――もしや、私のことか?」 にっこりと、彼へとくべられた笑顔がその答えだった。 「ユアン。私達は今、二人揃って病気にかかっていると思うのよ」 「病気?いや、私も君もどこも―――」 反論の口を開きかけたユアンであったが、それはすぐさま飲み下された。秀麗なおもてに、渋味が加わる。両腕を抱え込み、彼は唸るように呟いた。 「病―――そう言われれば、まあ、そうかも知れないが」 「確かにユーフェリアは、いえ、どんな高価な薬草を使っても、私達の病には効かないでしょう。でもこの花には、“私達に”と、探し出してくれたミトスとクラトスの想いが詰まっているもの。きっと良くなるわ」 嫣然とマーテルが微笑む。 「皆に、これ以上迷惑を、心痛をかけないためにも―――私達には“この”ユーフェリアが必要だわ」 ユアンは、すぐには言葉を返さなかった。真摯で埋もれたその双眸に、微笑んで待つ彼女を収めていたのは――――けれども、ほんの数瞬のこと。 「そうだな」 快く頷きを落とした彼の髪を、微風が優しく撫で付けていった。 「今の我らには必要なものかもしれない―――ミトス。ならばそれは、お前の手で薬と成すがいい」 「え?!」 ミトスのおもてが一驚に揺れたのは無理もない。クラトスでさえ驚いたのだから。 こと薬草の調合に関しては、マーテルとユアンの方が幾倍も長じているのである。プロフェッショナルといってもいい。そんな彼らから指名されるとは、誰であろうと思いもしなかったろう。 「ぼ、僕が?」 「お前が作り上げしものでなくば、我らにはなんの役にも立たんであろうからな」 「あら。クラトスもよ。ユアン」 笑顔のマーテルからの口添えに一瞬、ユアンはいたく、それはもういたく嫌そうに口をしがめたが、最後には両目を瞼で塞いで言って来たものである。 「だ、そうだ。ミトス、クラトス。お前達に託す」 「お願いね、クラトス。ミトス」 「まかせて!」 どんと頼もしく、胸を叩いたミトスの、その瞬間に咲き誇った笑顔といったら!まるで朝露が弾く、旭日の光のように煌びやかだった。 「二人のために心を篭めて、ちゃんと作るから。ね、クラトス!」 協力を惜しむ気などさらさらない。クラトスは快諾した。 「惜しまぬ努力を約束しよう」 「僕も約束する!じゃあそうと決まったら、早速戻って取り掛かろう」 「ああ。そうするとしよう―――ん?どうした、ノイシュ?」 クラトスが胸に違和感を覚えて視線を落とすと、そこではノイシュがモゾモゾと、なにやら腕の中で暴れていた。どうやら自由を求めているように見える。 「降りたいのか?ならば、降りるといい」 手を貸し、降ろしてやる。するとノイシュは尻尾をピンとおったて、スタスタスタと、元来た道を歩き出したのだった。そうして数歩進んだ先で振り返り、「わん!」と、元気のよい一声をあげてきたのである。まるで着いて来いと、早く来いとせっつかんばかりに――― マーテルが感心の目を丸め込む。 「まあ…!ついて来てって、言っているみたいだわ」 「きっとそうだよ、姉さま。道案内をしてくれるんだよ」 「道案内?まったく…ちゃんと戻れるのだろうな?」 ぼやいたユアンの元にノイシュの、「わふぅん♪」と、律儀な返答が返ってくる。それを聞いたユアンは眉に唾をつけたそうなおもてを作り上げ、ミトスは満面の笑みのなかから声を弾ませたものである。 「大丈夫って、言ってるみたいだよ。ユアン」 「残念ながら私の耳もそう聞こえた。―――まあいい。ならば、ノイシュにまかせよう。お前達を探すのに、あれの鼻は役立ったからな」 腕組みを紐解き、ユアンが歩き出す。微風を孕んだマントが、その後姿に付き従う。 「それに、もしも道を違えたら、飼い主たるクラトスに文句を言えば済むことだ」 「待て」 一歩踏み出そうとしたその足を止めて、クラトスは抗議の声をあげた。ユアンもまた律儀に歩みを止めていた。 「なぜ私に、いつもその責を押し付ける?」 「お前が拾ってきて、お前に一番懐いているからだ。これほど完璧な理はないであろう?」 「その理は確かに、一握ほどはあるが―――」 語っても尽きない反論を、クラトスはだが、途中で飲み込んでしまった。くつくつと、耳触りの好い、とても和やかな笑い声が聞こえてきたからだ。視線でその源を探り当ててみると、おもてに咲かせる微笑も瓜二つな、実に微笑ましい眼差しで彼とユアンを見つめている姉弟がいた。 「クラトスもユアンも、二人はいつみても仲がいいわね。ミトス」 「そうだね、姉さま」 屈託のない笑みを酌み交わす姉弟に、クラトスもユアンも、思わず顔を見合わせてしまった。 仲が良いとはいえないが、けして、壊滅的に悪くもない間柄ではある。 「―――フ」 「ふん」 同時に生まれた失笑は、ミトスとマーテルの感想を謙虚に受け止めた証だった。 「責のことは、まあ、この際だ。よしとしよう」 ユアンはそう言って皮肉の口を閉ざし、クラトスもまた、「そうしてくれると有り難い」と感謝を述べた。この姉弟にかかるといつだって、毒気を完全に抜き去られてしまう二人であった。 「ねえ、ところで早く行ってあげないと」 会話に分け入ってきたミトスの声は真面目で、ひどく気がかりそうでもあった。 「ノイシュが泣き出しそうだよ?」 ミトスの言葉通りだった。いっこうに足音がくっついて来ないことを知ったノイシュが、遠くの方から、ひどく心細そうな面持ちで振り返ってきている。垂れ下がった尻尾が後ろ脚の隙間に巻きこんでいたし、物悲しげに鳴く、人肌を恋しがる呼び声がしきりと聞こえてもいた。 「きゅ〜ん…きゅぅん…」 心ある者なら、悲壮とも呼べるその鳴き声に身をつまされない者はいないであろう。 ミトスが大真面目な顔で呼びかけてくる。 「急ごう、みんな」 反論する者はいなかった。笑みを残している者も、誰一人としてなかった。マーテルがこくりと頷き、歩き出す。 「ええ。急ぎましょう」 「案内人を見失うわけにもいかぬしな」 急ぎ足がてら零したユアンの意見に、「そうだな」と、クラトスは恭順のこうべを深々と垂れ込めた。そしてミトスへと頷きかけたのである。ミトスも大きく頷き返してくる。言葉は、いらなかった。 師弟は頷きを交し合うと、ユーフェリアの花咲く地に別れを告げたのだった。 ノイシュがトコトコと歩き出す。 ふさふさの尻尾をふりふり、四肢に軽快なリズムを絡ませて進む引率者に連れられながら、クラトスはつと、横目を流して弟子の横顔を盗み見た。 姉とユアンの邪魔にならぬよう一歩下がり、自分の隣を歩くミトス。その手に抱かれるのはユーフェリアの花。 クラトスは物思うた。 花びらを慎ましく紐解き、凛と咲くその純白の花は、ミトスの“心”そのものである―――と。 (ユーフェリアは―――そう、お前の心、お前の想いの結晶だ) 心を砕き、悩み、仲間のためにと探し当てられたユーフェリア。それはこの少年の、一途に他者を想う、真心の結晶のように思えるのだ。クラトスは心からそう思う。 (この“花”に惹かれて、私達はお前の元に集うた。お前の心が穢れぬよう、心に陽が射しつけるよう、私は共に居続けよう。お前の心に、その花が咲き続ける限り) そう―――心の底より想う。誓う。 (今ひとたび、いや、いくらでも私は誓おう) クラトスは改めて、己が剣に誓いを刻み付けたのだった。マーテルもユアンも、彼ら自身が信ずるものにかけて、誓っているであろう想いを。 (ミトス) 一歩控えた地から、会話に興ずるミトスの横顔を瞳の中に抱きとめる。 (私の剣は終生、お前だけに捧げ続けよう。いかなる苦難があろうとも―――私の道は、お前とともにある。お前の瞳が映す未来、お前がそれを手に抱くその日まで―――) 心から人を思い遣る、その、美しき花を咲かせるミトスとともに――― 誓いも新たに眺めやる眼差しの先に、少年のおもてが現れる。 「ねえ、クラトスの意見も聞かせて」 意見“も”ということは、すでに誰かに聞いていたらしい。 これまでの流れについてクラトスが訊ねたのは当然の成り行きだった。 「意見を…とは?すまないが話が見えない。考え事をしていたのでな」 「うん、あのね」 「だから、その件については早急すぎると却下したであろう、ミトス!小説に喩えれば、今やっと、序章が始まったに過ぎないのだからな」 「それはユアンの意見でしょう?」 照れ隠しも最高潮な大喝をミトスはしかし、真顔で受け止めきったのだった。どうやら見解を下した一人目の人物はユアンなようである。 「僕はクラトスの意見も聞いてみたいんだ。―――ねえ、クラトス。僕、ユアンのこと、なんて呼べばいいのかな?」 質問の意図がわからなかったクラトスである。首を傾げさせながら、さらなる情報を求める。 「何と…とは?」 「あのね」 ミトスがにっこりと微笑んだ。それはそれはとっても嬉しそうに。 「姉さまとユアンは恋人同士でしょう?だから―――」 ノイシュに連れられ、四人で辿る森の旅。 語り合う声も朗らかに進む彼らの姿を、夕紅ゆうくれないの空は静かに、優しい彩りで見下ろしていた。 ユーフェリアの花が恋人達の病を治し、四人の絆を深めたのは、語るまでもないだろう。 Fin 〜 Writing by 神冬たき 〜 |
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